2010/03/09
かつてはプレゼンに力を入れていて、意欲たっぷりの「作品」を目指したものだが、ここしばらくは恐ろしくモチベーションが落ちていて、準備も等閑なことが多い。例えば、2005年1月に滋賀県立大で開かれた「古代武器研究会・鉄器文化研究会連合集会『馬具研究のまなざし−研究史と方法論−』の発表も、中身はともかく、プレゼンはメチャメチャに酷かったと思う。どの位酷かったか……。発表用論文の中身をコピーして、箇条書きに改めただけ、という代物。他人がやったら、酷評したでしょうね。実際、石野博信氏から「(情報システムの)専門家でもその程度か」、と呆れられた(専門家と言われると、かなり恥ずかしいけど)。
さて、ガー・レイノルズの『プレゼンテーションZEN』は、Windowsマシンとパワーポイントの使用を強要されることもあって、すっかりどうでも良いやと投げやりというか、やる気をなくしていた私に、「ちょいとばかりセンスの良いプレゼンをものにしてやろうかな」という表現意欲を、久々に喚起してくれた、パワフルな本だった。Amazonの書評を見ると、「新しいことは何も書いてない」みたいなことが書かれていたが、どんな物凄いプレゼンの達人なのであろうか?「掲載されている写真は全て糞だ」と書いた奴がいたが、いやはや、どこに目をつけているのであろうか?
プレゼンが下手な、というかプレゼンの体をなしていない、大多数の日本の考古学者には、この本を聖書にして欲しいものである。「長い」「退屈な」「最悪のスライドショー」は、もう、んざりである。
今度の考古学ソリューションでは、ちょいと力を入れたプレゼンを頑張ってみよう。
ところで、何やら疲れたので、振替休日を取って、今日は家でゴロゴロしていた。最近、本来は飲みつけ無いコーヒーを、朝スタバで時々飲むようになったこと、それに多少の暴食と、疲れが重なって、珍しく胃炎を起こしてしまった。しばらく大人しくしていよう。
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2010/03/08
次男に、挙らなくなった肩のコンディショニングをしてもらっているうちに、私自身も整体術に興味を抱いたこともあって、ジュンク堂で立ち読みしてみると、面白い本が沢山ある。例えば左の教科書、ヒトの裸体表面に筋や腱の画像をペインティングし、施術者がトリガーポイントに施術する状況を撮影した映像を、イラストとして使っている。撮影も実に巧くて、美しい(ちょっとエロチック)。ここまでしてくれると、素人の私にでさえ分かりやすい。「教える」ということに関して、非常にサービス精神に溢れているのが、あちらの教科書やマニュアルである。やはり、日本の教科書より優れていると思う。
ところで、私の職場に「発掘現場でアルバイトしたい」という、日本で最も高名な大学に通う、考古学専攻の男子学生が、やってきた。殊勝である。単位はきちんと取れているようだけれど、面接をしてみたら、どうにも話が合わない。考古学に関する基本的な文献を、全く読んでないようだ。どうやら、どう勉強したら良いか教わっていないと思われる。かの高名な大学では(たぶん、そんなことは分かっているでしょ、という前提のもとに)、入学した後は、学生を殆ど放りっ放しにしているに違いない。
だから、入試をめぐって受動的な勉強は上手にやって来たものの、学問をどう身につけていくかという段になって、さっぱりついていけないという子は、どんどん取り残されるのだろう。本人の責任と言えばまあそうには違いないが、気の毒と言うか、不親切な話ではある。只のお利口さんは、偏差値だけで判断して、入試で通るからといって、無闇に高名な大学に入らない方が身のためだ。
同様の冷たさが、日本の多くの教科書に通底しているような気がする。分からないのは「不勉強なお前が悪いんだ」というわけ。分からないから、学んでいるわけなんだけれどね。
さて、くだんの学生だが、1週間を待たずして、現場に顔を見せなくなった。近世の港湾施設の調査だったから、考古学の発掘というより土木作業であったので、嫌になった気持ちは理解できる。でも、同じ学年でバリバリとその現場をこなしている、可愛い女子大生もいるんだけれどね。
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2010/03/07
Go氏のブログ で日米の教科書の優劣が話題になっていた。どう比較するか難しい側面もあるが、教科書に関する限り、私はアメリカのそれに間違いなく一日の長があると思う。例えば医学の世界でも、ハーパー生化学は私が医学生の頃から必携になっていて、日本語版の改訂を待っている暇が無いので、教養課程の1年生段階から、毎年のように更新される英語版が、そのまま授業の教科書になっていた。あれから30年余経つけれど、そのまんまなんじゃないかな。
医学がアメリカを中心に進歩し、情報がそこに集まっている、ということの他に、「教える」ということに関する文化が違うのだと思う。日本が教えるのがヘタとは思わないが、教科書を使って教えるシステムは遅れている。マニュアルに関しても、やはり医学の世界で重宝されているのは、例えばアメリカのハリソン内科学だ。
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2010/02/28
金曜日は、仕事から帰って来てから、ブログを書く元気を全く残していなかった。何よりも苦手とする作業、一月間ためた経費精算を頑張ったおかげで、滅茶苦茶に首筋と肩が凝ってしまったのである。パルクール訓練中の怪我を契機に、スポーツコンディショニングを学び始めた次男の整体を受けて(たいそう痛かった!)、大分治まりはしたが、現代史を顧みることなく、家族とテレビを見てしまった。
金妍児を頭に、極東勢がフィギュア女子を制したが、それは偶然だろうか、それとも極東諸民族に何か特徴的な人類学的形質があって、それが優位に働いたのであろうか。いずれにしても、極東諸民族が様々な人類学的形質を共有しているのは、当たり前といえば当たり前の話で、身体のハードウエア面で、互いに極めて近似していることは間違いない。例えば、これは自慢だが、我が家の次女も、ちょうど金妍児と崔志宇を足して2で割った姿形(すがたかたち)をしている(ちなみに娘は金妍児や浅田真央と同じ歳)。
欧州におけるI1a遺伝子の分布(左図)が、いわゆるゲルマン民族の大移動(the Great Barbarian Invasions)を反映しているという議論があるけれど、同じように、ある未知の遺伝子Xがあって、それが極東周辺、とくに朝鮮半島南部から日本列島に濃く分布している、というような事実がいずれ見つかるかもしれない(見つからないかも知れない)。もしそうした遺伝子Xが認められるとしたら、おそらくその分布が濃厚なのは、列島では近畿までで、愛知から東では急激に薄くなるに違いない。ただし、近現代の人の移動で、首都圏では多少濃くなる筈だ。
さてここまでが話の前振りで、言いたいのは次のことだ。
ローマが409年にブリテンから撤退したあと、五世紀代にゲルマン人の一派のサクソン人が侵入し、七つの王国を興して覇権を争った。その後デーン人が侵略したり、ノルマン人に征服されたあと、フランスのアンジュー伯が迎えられプランタジネット朝を起こす。フランスでカペー朝が断絶すると、プランタジネット朝のイングランド王がフランスの王位継承権を主張して百年戦争を起こした。この時、エドワード三世や黒太子が率いて、数に優るフランス重騎兵を殲滅したのが、かのイングランド長弓兵である。
文明の生態史観で、西欧の対極に見立てられている極東でも、時代は前後するが、似たような軍事活動を観察できる。すなわち、長弓を主要武器とする倭が四〜五世紀に渡海侵攻し、高句麗重騎兵と激しく交戦する。イングランドとフランスが、それぞれ長弓と弩で戦うのと同じように、極東でも長弓と弩が衝突する。面白いくらいによく似ている。
ところで、百年戦争当時のイングランド軍主力は、もちろんイングランド人、すなわちアングロサクソン人である。ところが、それを指揮するイングランド王は、イングランド人ではない。もとを正せばフランス人であり、だからこそ百年戦争も起こりえた。この部分も、「極西」と極東が対称形を成していとしたら、どうなるだろう。倭軍の王は、倭人ではなかったかもしれない、ということになる。つまり、金妍児とか我が家の次女とかとは異なる姿形の人類学的形質の持ち主だったかもしれない。神武東征の神話は、そうした事情を反映したものでありはしないか。そして、それを考古学で検証できるであろうか。
あまり反省になっていない。ただの妄想に終わってしまった。
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2010/02/25
昨日今日と、やっとのことで終了間際まで漕ぎ着けた、茨城県の某現場に出向いてきた。
さて、今回調査した遺跡は、考古学的にかなり良い資料となることは間違いないが、それとは全く別に、発掘の結果生じたその空間は、そんじょそこらのモダンアートなど、全く以て足元にも及ばない、痺れるような造形であった。もちろん、こんな写真を報告書に載せたら、一体何を撮ったのかと、呆れられること間違いない。間もなく、その美を美と認識されることなく消えていくであろう空間を、戦慄を覚えながら眺めたのであった。
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2010/02/22
原田先輩にいただいたスモーク・チキン。半分はそのまま、残りは奥方がドイツ風?ポテト・サラダに。ビールと、何故か今日は芋焼酎で。美味しくいただきました。
ところで、今日は竹島の日です。
下は竹島をめぐる韓国の反日動画。
文禄・慶長の役における李 舜臣がモチーフでしょうか?
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2010/02/21
昨日の「帝文研」(はじめてその名前に気づいて”ドン引き”した北條さんであった)で私が「立ち読みした内容」を紹介した井上章一の著作。面白い指摘もあるのだが、東大に対する怨念が邪魔して、どうでもいい方向に話が迷走してしまうのが難。というわけで、立ち読みで終わってしまった。
とはいえ、井上の問題提起は、確かに面白い。紀元200年前後に始まった寒冷化の影響を受けて、北方の蛮族の動きが活性化し、ユーラシア大陸全域で世界帝国が崩壊していく過程を古代の終焉過程と捉えれば、例えば楽浪郡や帯方郡の滅亡をもって、極東世界は、ユーラシア西部と軌を一にして中世段階に入っていくと見做せる。あるいは、従来いわれてきたところの「日本古代国家」の成立をもって、実は中世が開始するわけだ。グローバルに捉えると、そう考えた方が整合性があると思うが、とはいえ、なかなか受け入れられることにはならないだろうけれど。欧州の民族移動時代と、日本の古墳時代とは、概ね並行した時期だし、鉄器とくに武器や馬具を見ていると、遠く大陸を介して繋がった動きであることは間違いないように思える。
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2010/02/20
前から気になってはいた。とはいえ講談社学術文庫コーナーに在庫のない書店が多く、さりとて中身を見ずにAmazonに注文するほどの興味はなく、という数多ある本の一冊であった。
しかし、年末、新宿の紀伊国屋で実際に手に取ってみると、ちょっと読んだだけで極めて面白いことが分かった。訳もこなれていて、実に読みやすい。そこでアルザスの母を訪ねる長旅の荒びにと、上下二巻をバッグに放り込んで持って行った。
ルフトハンザの狭いエコノミー席に縮こまって、安ワインを飲んで眠っている間を除くと、ほとんどずっと読んで行った。ちなみに、今回はじめてルフトハンザを利用したのだが、個人用の液晶ディスプレイがないのは意外だった。イラン航空とか、ラオス航空と変わりありませんな。機内食も最悪の部類であった(はじめからそれほど期待していないが、あんまり不味いのはちとなあ)。食事は、むしろイラン航空の方がましだった(ただし、イラン航空はワインはもちろん、アルコール類は一切出ないけれど)。ルフトハンザ傘下の、スイスインターナショナルとか、オーストリア航空の方が、色々な面で遥かにサービスが良い。もちろん、チケットが取れればどちらかにしたかったのだが、間近になって安い航空券を探したので、選択肢がなかったのだ。
往きはバーゼルまでミュンヘン経由、復路はフランクフルト経由で帰ってきたのだが、ミュンヘン空港でドジを踏んだ。ミュンヘン・バーゼル便なんて完璧なローカル線だから、かなり待ち時間がある。逆にこれ幸いと、搭乗口で『日本紀行』の上巻を読み続けた。ふと気づくと、いつの間にか搭乗が始まている。慌てて荷物をまとめて……。機内で読み続けようと思ったが、メガネと『日本紀行』がないことに気付く。ベンチに置いてきたに違いない。もう少しで読み終わるところだったのに。メガネも痛かった、前回も列車に置き忘れて買い替え、三ヶ月位しか経っていない。
さて、今日は帝国古代文化研究会の日である。本日は、宮代、北條両氏の発表をお聞きすることになっている。内輪の会ということで、内容はここに記さないことにしよう。というわけで、これから新宿まで出かける。往きの車内で『紀行』前巻を読み直していこう。今回は、忘れ物をしないように。
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2010/02/13
著者の小沢一雅先生には、奈良に仮住まいしていた頃、何かとお世話になった。『前方後円墳の数理』・『考古学における層位学入門』・『数理考古学入門』などの著作や訳書でお馴染みの工学博士である。専門は情報工学。都出比呂志先生と高校が同窓というのは知る人ぞ知る。発掘に携わる人間なら、少なくとも『考古学における層位学入門』くらいは、本棚に並んでいるはずだ(ハリス・マトリックスのお世話になることは、まずないにしてもです)。
さて、その小沢先生が新しい著作を上梓され、不肖私にまで早々とご送付くださった。ところがざっと目を通したところで、その内容に恐れ戦いた私は、せっかくのご著書を神棚に祭り上げてしまった、というのは不正確で(我が家に神棚は無い)、未読コーナーに積み上げたまま、困惑しつつ横目で眺るだけであった。それは何故か? 何とも恐ろしいことに、先生は「邪馬台国九州説」を唱えているのである。それよりもっと恐ろしいことに、神武天皇の実在を肯定するどころか、なんと神武東征の可能性まで論じているのである。こんな危険な本を所有しているなんて、先の大戦中の日本でいえば、『共産党宣言』とか『国家と革命』を、身辺に置いているようなものではないか。もし、春成先生の耳にでも入るようなことがあれば、ここぞとばかり、
それ見よ! 「神武東征説は、私学の研究者や在野の研究者が取りあげ、帝国大学のちの国立大学や国立の研究機関は取りあげないというはっきりした色分けができるテーマであることがわかる。それは、考古学の講座を帝国大学に創り育てた濱田、梅原はヨーロッパの考古学の方法を学んでおり、考古学を文献に隷属させる意志がなかった」からなのだ!(春成秀爾、2003年『考古学者はどう生きたか』学生社、232頁)
と、あっさり「色分け」されてしまうに違いない。桑原々々である。
冗談はさておき、いや冗談では済まないのだが、古墳時代研究者の大多数にとって、「邪馬台国九州説」や、とりわけ「神武東征説」は、その悪口を言うときは除いて、完全にタブー、近づいてはいけない危険な地雷原であり、その恐怖を伴う忌諱感は、有形無形の教育を通して、背骨までしみ込んでいる。最近、敢えて右翼を「標榜」して見せることに小市民的喜びを感じている小生などにおいても、いざとなると、ふだんの勢いはどこへやら、「邪馬台国九州説」とか「神武東征説」をまともに考えなければならない状況に近づくや、何も考えられなくなって、くるりと背を向けて遁走してしまう、そういう情けない根性が叩き込まれている。
北條さんのブログ で、『卑弥呼は前方後円墳に葬られたか―邪馬台国の数理―』を正面から評価した記事を読んで、やっとこわごわ鞄に入れて、仕事の行き帰りに初めてまともに読んだ。いろいろ突っ込みどころはあると思うけれど、しかし実に面白い。北條さんの仰る通り、素直に読む甲斐のある、チャレンジングな著作である。岡目八目というけれど、これがその良い例に違いない。
できればこの文は2月11日にエントリーしたい内容であったなあ。
タグ: 九州説 , 神武東征 , 邪馬台国 カテゴリー: 考古学 | 1 件のコメント »
2010/02/11
昨年の暮れ、アルザスの母を訪ねようと思っていた矢先に、使い慣れたD70が完全にお釈迦になった。しかたがないので、最も操作性が似ていることなどを理由に、D90に買い替えた。実際に使ってみるとD70と大分勝手が違う。例えば、ダイナミックレンジが広がっているが、それが却って災いして、意図通りの絵が撮れていない場合がある。オートフォーカスも改善されているが、これも意図せぬところに焦点があって、肝心の部分がボケボケ、という失敗を繰り返している。完全に指に馴染んで体の一部として使えるようになるまで少し時間がかかりそうだ。まずは、マニュアルを読まないと……。
ちなみに、上も失敗作。いったい何を写したかったのか分からない。
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2010/02/09
この森は、さすがに別格でした。少なくとも1500年前には既に聖地だったわけだから、当たり前といえば、当たり前だったわけですが。
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2010/02/08
東海例会に参加した折、A県埋文センターのH氏から、穂積さんと私は二人とも右翼だから、という名誉あるお言葉をいただいた。それは私には褒め言葉なので嬉しいのだが、如何せん、実は私は佐藤優が言うところの佐幕派負組の基督教徒の家に生まれ、僻み根性丸出しの左翼的思想環境の中で育ち、そのまま何となく大人になったので、本来なら右翼として持っていなければならない基本的な教養、いやそこまでいかない右翼としての常識すら、凡そ持ち合わせがない。それどころか國學院大學の方々の神道考古学を「神さま考古学」などと小馬鹿にして揶揄し、自らは科学的考古学を標榜し、恥ずかしいくらい無知を放置してきた。そういうわけで、今になって遅まきながら、慌てて「右翼」としての修養をしているところである(ちょっと遅すぎたけど)。
さて、『アマテラスの誕生』には、異なる著者による二作がある。どちらも面白い。溝口睦子によるそれは以前読んでいたが、筑紫申真の方はごく最近になって手にして、面白くて一気に読み通した。半世紀前に書かれた本で、修正されなければならない部分も多いが、それはそれとして、たいそう示唆に富んでいる。何より、文がうまくて、読みやすい。一般向けの本の手本のような文体だと思った。真似できるかどうかは、ともかくとして。
いずれにしても、たまたまこの本で一夜漬けしてあったおかげで、にわか右翼の私にも、穂積さんの話を理解しやすかった。
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2010/02/07
古墳時代における信仰や祭祀の問題を考えるために、東海の代表的な古墳時代祭祀遺跡や古社、古墳などを手掛かりに、「カミ」の性格や祭祀と葬送の関係性、あるいは古社の成立背景など祭祀を取り巻く様々な問題を顕在化させて、今後の祭祀研究に寄与しうるための方法論を吟味して行きたい。
という趣旨(穂積裕昌氏による)に引寄せられるようにして、考古学研究会第14回東海例会に顔を出し、ついでに少し伊勢路を歩いて来た。
北條芳隆氏が指摘したよう に、先の大戦後の日本考古学は、「記紀神話の呪縛からの解放」を歌い、それまでの研究をリセットして(したことにして)、ごく大雑把にいえば、冷戦下における東側陣営の思想基盤であったマルクス主義史観を、その方法論上の主柱として発展して来た。そして今、その歴史的な限界に突き当たりつつあると思う。思っていない研究者が大半であろうけれど。リセットをリセットして、というのはもちろん皇国史観に立ち返れというのではなく、過去を受容する勇気を持って、排斥的な一神教的考古学からの脱皮を模索していかねばならないということだけれど、そうした潮流が沢音を立てて流れるまでには、もう少し時間がかかりそうだ。
ところで、趣旨を敷衍すれば、「古墳時代」ってのは辞めにして、上古時代とか、大和時代といった過去に用いられた時期区分を踏襲したほうが適切かもしれない。穂積さん、どう思われます?
タグ: 方法論 , 神話 カテゴリー: 考古学 | 2 件のコメント »
2010/02/03
某ブログで「新納・福島論争」って書いてたけど、あれって「論争」になってたかな?
むしろ、「新納・白石論争」と言った方が、話の筋道が見えやすいのではないかと思うけれど。
とまれ、我が古墳文化研究会は、1980年代において既に、私が時に政治的に日和見する以外は、明確な主張をしていたと思う。
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2010/02/01
雨が雪に変わり始めた夕刻、帰宅すると思いがけないものが届いていた。
その1)土佐に出向いていた長男が、銘酒亀泉を送ってくれた。もちろん、全く火入れしていない生、それも、赤鬼でも飲めない珍しい銘柄の大吟醸を一升瓶で。これは豪毅だ。早速、茨城で仕入れて来た、美味しい白菜漬けと、やはり茨城の八頭と椎茸の鍋を肴に一杯。香り高く、濃厚だがすっきりという、麗しき矛盾。唎酒師にして杜氏の社長が、自分で飲むために創った酒。新潟の水っぽい酒と違い、量は飲めない、また飲むべきでない、味わい深い清酒。
その2)匿名の方から、ある資料が届いた。さて、と少し考え込んだ。どうしよう。やはり、義を見てせざるは勇なきなり、であろう。友人諸氏に諮り、考古学者の一分を果そうと思う。慎重に。確かにお預かりしました。うまく行くかどうか分かりませんが、努力してみます。
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2010/01/30
このところ仕事の疲れが溜っているのか、週末は家で大人しくしていることが多い。先週も、明大考古学専攻生の同窓会に行きそびれてしまった。前日まで頭にあったのだが、当日になって朝から雑文を書いているうちに、すっかり失念してしまい、「ああそうだった」と気付いた時には、すでに日が傾いていた。今から出かけると、ちょうどお開きになる時間かなと思うと、何だかえらく億劫になって、そのまま家でワインの栓を開けてしまった。
そして今日も、小田原で開かれるシンポジウム「古墳時代の始まりと足柄平野」に顔を出そうと昨日まで思っていたのに、何やら体が重い。朝食後、少し体を休めようと床に就いたら、驚いたことに目を覚ますと午後になっていた。ぼんやり『龍馬伝』の再放送を見たり、先の大戦のドキュメンタリー番組を眺めているうちに、これから出かけても、くだんのシンポジウムが終わる頃だろうという時間になってしまった。長いことお会いしていない方も多いので、「反省会」にだけ出席するのも悪くはないのだが、今ひとつ元気が出ない。いよいよ齢かも?
さて、宮部みゆきは好きな作家の一人だが、全ての作品を読んでいるわけでもない。たとえば『蒲生邸事件』も、タイムスリップがテーマという理由で、これまで何となく敬遠していた。たまたま会社への行き帰りに、佐藤優と魚住昭の対談集『ナショナリズムという迷宮ーラスプーチンかく語りき』(朝日文庫、2010年)を読んでいて、佐藤が「二.二六事件を武力を持った官僚の一部が起こした事件として考えてみましょう。二.二六事件を考える上でおすすめのテキストがあります」と紹介しているのを見て、そういう読み方もあるかと、くだんの作品を求めたのであった。
すでに繰り返し議論されているようなので、このブログで今さら取り上げるのも何だけれど、文庫版の「解説ー過去を差別しないという原点」で、関川夏央が次のように指摘しているのは大切だと思う。
私たちは「戦前」に対しては進歩の概念を脳裡に置きながら、忌むべき過去として無意識に切って捨てがちなのだが、宮部みゆきは、時をまっすぐにつらぬいてかわらぬものがある、かわってはならないものがある、といっている。それはひと口でいうなら「過去を過去であるという理由で差別しない態度」である。
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2010/01/28
後方支援している現場を陣中見舞いして来た。調査前は試掘結果から縄文と古代の二時期、比較的単純な遺跡のはずだったが、発掘を始めてみると、縄文中期が少なくもと二時期、弥生時代後期、古墳時代前期とたぶん後期、古代に複数の時期と、一大複合遺跡であることが判明。とくに厄介なのが縄文中期の所謂フラスコ形土壙がたくさん出て来たこと。径6〜70センチの単純なピットと見えて、実は深さ2メートル、直径3メートルという大土壙が隠れていた。そういう訳で、フラスコ形と分かったら一旦掘るのを止めて、周囲にある後の時代の遺構を先に調査し終えてから、改めて掘らねばならない。上にある遺構も複雑に切り合っているから、どういう順序で掘っていくか、まるで立体パズルである。おまけに深さが半端じゃないから、掘削作業は極めて危険でもある。現場でその困難に立ち向かうなかで、調査に当たる彼女や彼らが、日を追って調査員としての力を向上させて行くのが、傍目からみていても良くわかる。周囲は、古き良き日の、日本の里村が、美しく残る土地。色々な意味で、現場に毎日立てる諸君が羨ましい。もちろん、肉体的にも精神的にも過酷な日々であることを承知の上で。
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2010/01/23
Time Machine用の外付けディスクドライブとして使っていたLaCie Desktop Hard Disk 1TBが固まってしまってからずいぶん経った。そのうち修復しようと思っていたが延び延びになっていたのだ。データレスキュー3を仕入れて試してみると、実に優秀で完璧に修復してくれた…まあ、酷く痛めつけていたわけではないこともあるが。それではというので、完全にマウントできなくなっていた日立製の内蔵用HD500GBにも試してみると、これも見事に生き返った。ハードディスクが固まってしまったマカーは、妙に自分で弄くって事態を悪化させる前にデータレスキューを試してみることをお勧めする。
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2010/01/16
上の写真から色々なことが分かる。たとえば、ヤワな手摺から身を乗り出して撮影している私が恐怖感で平衡感覚を失い(それでさらに怖くなるのだが)、写真の水平が取れていないこと。まあそれはさておき、左側の斜堤(今は木立があるが砦として機能している時には何も植栽されていなかったはず)の傾斜は、城塞が築かれた山の岩盤の傾斜をそのまま利用している。少し崩れているが、下側左から中央にかけて、守備兵用の胸壁が築かれているのがわかるだろうか。胸壁から射撃時に頭だけ出して狙いをつけ、斜堤を登ってくる敵兵をマスケット銃で狙撃した。突破された場合、守備兵は門壁の小さなドアから門内に収容される。城門の上にも胸壁が設けられている。
最も重要な点は、背景に見える高地である。この高地はブザンソン・シタデルより標高が高く、城を見下ろせる。この高地を敵に制圧され、そこから砲撃を受ければ、難攻不落のように見える城塞も、実は非常に危うい状態になる。実際、スペイン・ハプスブルク家の兵が籠城し、ヴォーバンが攻囲した際も、この高地と、この写真の背中方向の高地から砲撃を加えることによって、城を陥落させている。とくに向こうに見える高地は比高差が大きく、ブザンソン・シタデルにとっては旅順港の203高地のようなウィークポイントとなっている。ローマ人が目をつけたように、大砲の発達以前は難攻不落の地形であったが、一定の飛距離を持つ砲が登場すると、この城塞の防御力は一気に大きく後退してしまった。
このため、ヴォーバンは、占領後自らの手でブザンソン・シタデル周辺の高地も要塞化し、戦術要地を敵に攻略させない工夫をした。稜線に見える建物がそれである。また敵に高地を陥された時の用意に、traverse(横堤)と呼ばれる「弾避け」を設けて、砲弾による被害を軽減する改良をした。写真にも石組みとレンガ組の二種類のtraverseが見えているのだが、分かるだろうか。
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2010/01/11
日本の城郭で言えば大手門に相当するであろうか。侵入者は、この地点に至るまでに、天然の地形を利用した長大な斜堤、即ちなんの遮蔽物もない数百メートルの距離のダラダラした上り坂を、立体的な十字砲火を浴びて大量の犠牲を強いられつつ、登ってこなければならない。途中、銃火で反撃したとしても、敵を見上げての射撃は威力を殺がれるし、しかも守備兵は胸壁に隠れ、効果的な打撃を与えるのは難しい。
さらに、ダラダラ坂を突破して敵の守る胸壁を飛び越え、敵陣に踏み込んだと思うと、そこには巨大な壕が待ち構えている。飛び込んで来た兵士は、勢い余って前に落ちれば死ぬし、立ち止まれば十字砲火に晒される。何とか死なずに壕に飛び込めた兵士も、同様に周囲の胸壁から十字砲火を浴びる。
写真に掲げたブザンソン城塞は、17世紀から18世紀にかけて、ヴォーバンの手で今日の姿に築かれたものだ。要塞はその後も進化し続け、日露戦争時の旅順要塞も、これに比べればはるかに効果的な防御が可能な施設として建設されている。目も眩むような壕を見下ろしつつ、旅順攻略に加わった将兵の苦闘を偲んだのであった。
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