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	<title>考える野帖</title>
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	<description>彷徨える考古学徒、岡安光彦のWebSite</description>
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		<title>学史上の時期区分</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Aug 2010 08:49:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>岡安 光彦</dc:creator>
				<category><![CDATA[考古学史の現在]]></category>

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		<description><![CDATA[　1974年に刊行された（訳本が出たのは5年後の79年）、ウィリーとサブロフの『考古学史』は、考古学史を次のように時期区分している。

推測期（1492〜1840年）
分類＝記述期（1840〜1914年）　考古資料の記述 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　1974年に刊行された（訳本が出たのは5年後の79年）、ウィリーとサブロフの『考古学史』は、考古学史を次のように時期区分している。</p>
<ol>
<li>推測期（1492〜1840年）</li>
<li>分類＝記述期（1840〜1914年）　考古資料の記述と初歩的分類</li>
<li>分類＝歴史期　–　編年への関心（1914〜1940年）</li>
<li>分類＝歴史期　–　脈絡と機能への関心（1940〜1960年）</li>
<li>説明期（1960年以降）</li>
</ol>
<p>　二人によれば、１の流れは1840年頃に盛期を迎え、1960年頃には衰滅。２の流れは1914年頃に盛期を迎え、やはり1960年頃には衰滅。これに対して３は1900年頃に兆しを見せ、1914年から顕著となり、1960年頃に盛期を迎え、（1974年段階で）衰退の傾向にあるものの、考古学の主流を占める。いっぽう４は、1940年頃に兆しを見せ、1960年頃を境に少しずつ拡大の兆しがあるが、（1974年段階では）主流となりえていない、という時期となる。<br />
　二人の学史認識で大きな区切りとなる1914年は、言うまでもなく第一次大戦が勃発した時期である。二人は明確に大戦の勃発が、アメリカ考古学の第三の時期の発端を成すと言い切っている。いっぽうもう一つの区切りの1940年であるが、これも1939年に始まった第二次世界大戦を明確に意識しているといえよう。日本の学者なら、間違いなく1945年にその区切りを持って行くはずだ。この５年間の認識の差は、以外に大きいと思う。<br />
　35年前の時期区分であるから、二人が今日から見返せば、変えたいかもしれない。いや、あまり変わらない、というのかもしれない。一方、日本考古学にもこの時期区分の枠組みを当てはめたらどうなるだろう。<br />
　<br />
　</p>
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		<title>進化的編年パラダイムが残るのは日本考古学のみ？</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Aug 2010 02:54:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>岡安 光彦</dc:creator>
				<category><![CDATA[型式・編年]]></category>
		<category><![CDATA[武器・武具・馬具]]></category>
		<category><![CDATA[考古学史の現在]]></category>

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		<description><![CDATA[　たとえばアメリカ考古学では、進化論的パラダイムは、次のように学史の中の存在である。
セリエーションのもっとも簡単な定義は、現象ないし資料を、ある一貫した整理原則によって配列することである。考古学でいうセリエーションとは [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　たとえばアメリカ考古学では、進化論的パラダイムは、次のように学史の中の存在である。</p>
<blockquote><p>セリエーションのもっとも簡単な定義は、現象ないし資料を、ある一貫した整理原則によって配列することである。考古学でいうセリエーションとは、資料を時間順に配列することである。（ウィリー／サブロフ、小谷訳『アメリカ考古学史』1979年、148頁）</p></blockquote>
<blockquote><p>考古学におけるもっとも有名な進化的セリエーションの最初の実例は、トムセンによるデンマーク国立博物館の資料の配列で、その地方の文化は石器時代文化、青銅器時代文化、鉄器時代文化の順に発展したという仮定に基づくものであった。この場合、その後に実施された考古学的調査によって、このセリエーションの正しさが繰り返し立証された。しかし、他の進化的セリエーションは、層位的検証ないし絶対年代の吟味により否定されたものもあることから、セリエーションにおける進化の原理は、確立された考古学的手続きとして妥当なものとはみなされていない。いっぽう、類似に基づくセリエーションによって得られる結論は、この方法が正しく適用された場合、一様に信用され、層位学や絶対年代決定法によりその妥当性が確認されている。その結果、類似に基づくセリエーションの原理は、アメリカおよびそれ以外でも編年体系を確立するために広く受け入れられており、事実、今日用いられている「セリエーション」という語は、類似に基づくセリエーションのことをいう。（ウィリー／サブロフ、小谷訳『アメリカ考古学史』1979年、151頁）</p></blockquote>
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		<title>T島氏への期待</title>
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		<pubDate>Sun, 22 Aug 2010 12:42:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>岡安 光彦</dc:creator>
				<category><![CDATA[武器・武具・馬具]]></category>
		<category><![CDATA[考古学史の現在]]></category>
		<category><![CDATA[調査・研究 HACKs]]></category>

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		<description><![CDATA[取り敢えず、日本列島の刀剣に関しては制覇したのではないかと思う（細かいことを言い出したら切りがない。いちいち真面目にやっていたら（面白いかもそいれないが）永遠に終わらないから、あとはやり方だけ人に教えて、後進に託せば良い [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>取り敢えず、日本列島の刀剣に関しては制覇したのではないかと思う（細かいことを言い出したら切りがない。いちいち真面目にやっていたら（面白いかもそいれないが）永遠に終わらないから、あとはやり方だけ人に教えて、後進に託せば良い）。<br />
いずれにしても、BBB研究者すなわち、武器・武具・馬具の分析に関わっている者としては、もう日本の武器はとりあえずいいから（やれば面白いのは分かっている）、T島氏には、半島さらに大陸方面の刀剣について、あの精細にして拘った分析を加えて欲しい。そうすると、きわめてダイナミックに、歴史認識まで変化するインパクトがあるんじゃなかろうか。</p>
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		<title>TK47/MT15の断層を考える</title>
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		<pubDate>Sun, 22 Aug 2010 12:26:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>岡安 光彦</dc:creator>
				<category><![CDATA[型式・編年]]></category>
		<category><![CDATA[情報共有]]></category>
		<category><![CDATA[武器・武具・馬具]]></category>
		<category><![CDATA[考古学史の現在]]></category>

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		<description><![CDATA[今度の研究会は是非、齊藤大輔氏にも参加してほしいなと思うのは、考古学のハイアラキーとしては、あるマイナーな内輪の勉強会。９月中に予定している。
例のはばきもとに孔の開いた大刀の編年、それが一型式古いかどうか、だけの矮小な [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今度の研究会は是非、齊藤大輔氏にも参加してほしいなと思うのは、考古学のハイアラキーとしては、あるマイナーな内輪の勉強会。９月中に予定している。<br />
例のはばきもとに孔の開いた大刀の編年、それが一型式古いかどうか、だけの矮小な問題には、実は収まらない、わくわくする問題を孕んでいる。<br />
極東地域の武装システムが、なにかの区切りに激しく変化する。その動きを、どう捉え、どう合理的に説明するのか。問題はそこにある。考古学が、文献史学を、時に凌駕する。それを予測しての、この興奮を、分かち合えるのは誰か。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>環状鏡板の大分類</title>
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		<pubDate>Mon, 16 Aug 2010 05:56:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>岡安 光彦</dc:creator>
				<category><![CDATA[分類]]></category>
		<category><![CDATA[可視化]]></category>
		<category><![CDATA[型式・編年]]></category>
		<category><![CDATA[馬具]]></category>

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		<description><![CDATA[　環状鏡板とは、鏡板本体を成す環に連結された銜が、（立聞部を除き）環の全周を遊動できる構造の鏡板である。
　いっぽう、いわゆる複環式環状鏡板では、特定の部位（一般に鏡板の中央付近）に銜が連結され、環部を遊動する造りとはな [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2010/08/755783043581491055fca79247c8e36b.jpg"><img class="alignleft size-medium wp-image-3297" style="margin-top: 5px; margin-bottom: 5px; margin-left: 10px; margin-right: 10px;" title="環状鏡板の大分類" src="http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2010/08/755783043581491055fca79247c8e36b-300x226.jpg" alt="" width="300" height="226" /></a>　環状鏡板とは、鏡板本体を成す環に連結された銜が、（立聞部を除き）環の全周を遊動できる構造の鏡板である。<br />
　いっぽう、いわゆる複環式環状鏡板では、特定の部位（一般に鏡板の中央付近）に銜が連結され、環部を遊動する造りとはなっていない。この点で、一般的な鏡板と同様の構造と機能を有すると見てよく、環状鏡板というカテゴリーに括ることには問題がある。かつて『日本古代文化研究』で行った分類には修正が必要だ。<br />
　さて、環状鏡板の分類の決め手となるのが、立聞の構造である。その大枠については、『日本古代文化研究』で示した分類に大きな修正は必要ない。<br />
　ところで、環状鏡板の中でも最も一般的なのが、矩形立聞造環状鏡板である。この種の鏡板を、人によっては、長方形立聞付鏡板とか、板状立聞付環状鏡板と呼ぶ。名称をめぐるこうした不統一は、先学が命名した用語のプライオリティーを無視した結果生じる現象で、どんな理屈に基づくにせよ、感心できることではない。たとえば考古学がお手本にしてきた生物分類学の世界では、一度与えられた種や属などの名称（タクソン名）を変更することには厳しい制限があり、よほどのことがない限り変更できない。変更する場合には、決められた面倒な手続きと審議を経て、学会内のコンセンサスを得る必要がある。この点に関して、考古学研究者はあまりに安易である。</p>
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		<title>分類の基本単位</title>
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		<pubDate>Sun, 15 Aug 2010 02:06:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>岡安 光彦</dc:creator>
				<category><![CDATA[世界モデル]]></category>
		<category><![CDATA[分類]]></category>
		<category><![CDATA[型式・編年]]></category>
		<category><![CDATA[武器・武具・馬具]]></category>
		<category><![CDATA[考古学と自然科学]]></category>

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		<description><![CDATA[　図は七世紀の、詳しくいうとTK217型式平行期の轡である。群馬県奥原25号墳出土品の実測図をもとに製作した立体的な模式図だ。鉸具（カコ：Buckle）が造り付けられた鏡板（CheekPiece）の特徴から、鉸具造環状鏡 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2010/08/3Dbit.jpg"><img class="size-medium wp-image-3289 alignleft" title="3Dbit" src="http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2010/08/3Dbit-300x237.jpg" alt="" width="300" height="237" /></a>　図は七世紀の、詳しくいうとTK217型式平行期の轡である。群馬県奥原25号墳出土品の実測図をもとに製作した立体的な模式図だ。鉸具（カコ：Buckle）が造り付けられた鏡板（CheekPiece）の特徴から、鉸具造環状鏡板付轡という名称を与えることができる。<br />
　この轡に限らず、轡は鏡板の特徴を主要な基準に分類されることが多い。というのも、轡の部品の中で一般に最も多様な形態や構造を持つのが鏡板だからである。別の言葉でいえば情報量が多い。<br />
　さて、轡というのは馬具の１部品に過ぎず、これだけでは乗馬できない。馬の頭部に轡を装着するための面繋（おもがい）が必要だし（これも一般に複数の部品から成り立っている）、馬を操るための手綱も必要である。もちろん、鞍も（それを馬に装着する諸部品も）、鐙も欠かせない。<br />
　したがって本来なら、馬具を構成する部品全体を俎上に議論すべきだが、目立つ部品だし、（面繋の有機質が失われて）主立った部品としてはこれしか出土しないことも多いので、轡は便宜的に一つの独立した研究対象とされることが多い。またそれで十分有効に研究の成果が上がってきた。もちろん、たとえば宮代栄一氏の研究に代表されるように、馬具装着状況全体を問題にした研究も、そうした「部分的」な研究成果をもとに進められている。<br />
　つまり、馬具の編年研究は、部品の研究の寄せ集めというと聞こえが悪ければ、部分的研究を総合することによって成り立っている。研究対象となる部分は便宜的に全体から切り取られ（分類され）、それにいわゆる型式名が付与されている。このように考えれば、少なくとも馬具研究において、型式が生物学における種に対応する概念ないし範疇となはりえないことが、よく理解されるであろう。馬具に限らず、武器や武具の型式についても同じことがいえる。生物学的な意味において、型式の特徴は遺伝しないし、もちろん同じ意味において、型式は進化しない。人が人為的に設定ないし認識した型式は、自らを自己複製することはないし、自己複製するための遺伝子を持つこともない。<br />
　</p>
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