Archive for 5月 2009

中心-周縁モデルの限界

 どうにか考古学協会の発表準備を済ませ、あとは何かの媒体に入れて大会関係者に渡せばよい。
 MacのKeynoteで作って、それをWindowsマシンに送り、XPでoffice2003のパワーポイントにしろという指定に [...]

砕氷艦「しらせ」一般公開

海上自衛隊WebSiteより転載

隧道つきて顕はるる
横須賀港の深みどり
潮に浮かぶ城郭は
名も香しき敷島艦
 横須賀で魚雷とアスロックの面倒を見ている我が三等海尉殿から、”「しらせ」を見る?̶ [...]

騎兵も盾を持つ

 この出版社のシリーズは挿画が多く楽しめます。最近表紙が歩兵の絵に変わったようですが、アマゾンで購入できます。
 なお、盾やShieldBossなどもネット上で購入できます(復元品、盾の製作キットもあったりして)。それど [...]

ゲルマン人の盾:クイズの答え

 先日の半球状の鉄製品の写真ですが、古墳時代研究者の多くは「もしかして雲珠(うず)?」と思ったのではないでしょうか。
 私もあちらで初めて目にした時、日本の6世紀の古墳から時々出土する無脚の雲珠の仲間かと思いました。雲珠 [...]

「列島求心世界」

河野一隆は、紀元3世紀から7世紀にかけて、すなわち古墳時代の日本列島を、前方後円墳とそれに伴う祭儀が導入された地域(列島求心世界)と、それを受容しなかった接触領域に区分した。さらに、列島求心世界を前方後円墳の受容のされか [...]

ユーラシア軍事考古学クイズ

写真は、フランスの北東の隅、ドイツと境を接するアルザス地方の古都、コルマールのウンターリンデン美術館考古部門の展示室で撮影してきた、あるモノである。さて、これは何でしょう?
ちなみに、影は上のガラスの段に展示してある馬 [...]

軍事的に見た東国の構造

日本考古学協会総会の発表が近づいて来た。にもかかわらず、プレゼンの用意が殆ど出来ていない。実は、Windowsマシンかつパワーポイントという早大事務局の阿呆馬鹿野蛮厚顔無恥半可通な指定に腹が立って、モチベーションが高まら [...]

河野一隆の中心-周縁モデル

 ヨーロッパに侵寇したフン族が、本当に匈奴であったのか? それは、ひとまず置くとして、ユーラシア大陸の広大な乾燥地帯に発生した遊牧騎馬民族の集団が、大陸の西と東に強烈な衝撃波となって押し寄せ、古代帝国を瓦解させた、少なく [...]

草原の衝撃波と古代日本

 仏独国境の古都コルマール旧市街の一角に、ウンターリンデン美術館がある。
 中世の修道院を利用したこの美術館の目玉は、なんといってもグリューネバルトのイーゼンハイム祭壇画である。磔刑に遭って死んだイエスを、これでもかと生 [...]

考古学協会総会の委任状

 たった今、東海大の北條さんから電話がかかってきた。何事かと思ったら、委任状が足りなくて、考古学協会の総会が流れそうなのだという。今回は法人化の決議をするため、三分の二の出席が必要らしい。かなりの数が足りなくて、委員が知 [...]

弥生戦士、白兵戦の武器

 弥生時代、日本列島に居住する諸集団は、相対的に独立した大小の地域圏を形成し、鉄資源をめぐって互いに競争しながら、同時に協調するという、矛盾を孕んだ錯綜した動きを見せる。

 西日本諸地域に比べ、供給地に遠く鉄資源の普及 [...]

東国の起源

 弥生後期に入ると、東日本の遺跡でも鉄器の出土例が増える。相当な量の鉄器が供給され始めたことを物語る。
 そうした鉄器の中でも、武器研究者の間で注目されているのが、刃関双孔(はまちそうこう)を持つ剣である。最近の研究で [...]

日本人が盾を持たない理由

 弥生時代に日本にもたらされたのは、稲作だけではない。敵の大量殺戮を伴う戦争の文化も、同時に日本にもたらされた。はじめに戦争の文化を持ち込んだのは、大陸や半島から海を渡って北九州にやって来た集団である。周囲の縄文人も自ら [...]

「東国の構造とその軍事史的意味」

 日本考古学協会の総会が迫って来た。5月30(土)・31日(日)の二日間にわたって早稲田大学(東京都新宿区早稲田キャンパス)で開催される。先日、事務局から葉書が届いて、新型インフルエンザ対策のため、最悪の場合は中止になる [...]

南下する高句麗軍、決戦の日

 満を持して朝鮮半島を南下する高句麗軍。これを阻止せんと迎え撃つ倭・百済・伽耶連合軍。両者の衝突を想像してみよう。
 居酒屋で友人(武器考古学者)と飲むと、こうした話で盛りあがる。徳利が騎兵、おでんの鉢が歩兵、刺身の皿が [...]

クレーシーの古戦場

 クレーシーの戦いについて、簡単に知識を整理しておきたいと思う。
 上野の国立西洋美術館にあるロダンの作品「カレーの市民」を見たことがある人は多いと思う。しかし、次のことを知る人は意外に少ないのではないだろうか。
 あの [...]

高句麗重装騎兵とクレーシーの戦い

 壁画に表現された高句麗の軍勢のなかでも、とりわけ目を惹くのが、軍団両翼を守備する重装騎兵集団だ。騎兵は鉄製小札を鱗状に重ね合せた挂甲と、同じく鉄板を綴った蒙古鉢形冑(かぶと)で全身を厳重に保護し、長鉾を主力兵器として装 [...]

「倭」・百済・伽耶連合軍

 考古学的に得られる資料から判断する限り、少数の重装歩兵を除くと、ほとんどが軽装の長弓兵という極端に偏った編成だったと想定される「倭」軍が、半島に渡海遠征して強力な高句麗軍とどのように戦ったかのであろうか、という問いを先 [...]

解2 戦術的な答え

 解1で古墳時代中期に日本から半島に遠征した「倭」軍と、高句麗軍との遭遇戦を仮想してみた。置楯による陣地構築、主力である長弓兵の力で、敵主力である重装鉾歩兵の突撃は、ある程度までは阻止できる可能性を示した。
 しかし機動 [...]

解1 倭軍の基本陣形

 弥生時代には個人用の小型の持楯を携行する場合もあったようだが、古墳時代以降になると、日本の戦士集団は共同装備の大型の置楯を用いることが多く、持楯は一般的に使われない。半島に渡海遠征し高句麗軍と干戈を交えた「倭」軍も大型 [...]