ブザンソン城塞の203高地

上の写真から色々なことが分かる。たとえば、ヤワな手摺から身を乗り出して撮影している私が恐怖感で平衡感覚を失い(それでさらに怖くなるのだが)、写真の水平が取れていないこと。まあそれはさておき、左側の斜堤(今は木立があるが砦として機能している時には何も植栽されていなかったはず)の傾斜は、城塞が築かれた山の岩盤の傾斜をそのまま利用している。少し崩れているが、下側左から中央にかけて、守備兵用の胸壁が築かれているのがわかるだろうか。胸壁から射撃時に頭だけ出して狙いをつけ、斜堤を登ってくる敵兵をマスケット銃で狙撃した。突破された場合、守備兵は門壁の小さなドアから門内に収容される。城門の上にも胸壁が設けられている。
最も重要な点は、背景に見える高地である。この高地はブザンソン・シタデルより標高が高く、城を見下ろせる。この高地を敵に制圧され、そこから砲撃を受ければ、難攻不落のように見える城塞も、実は非常に危うい状態になる。実際、スペイン・ハプスブルク家の兵が籠城し、ヴォーバンが攻囲した際も、この高地と、この写真の背中方向の高地から砲撃を加えることによって、城を陥落させている。とくに向こうに見える高地は比高差が大きく、ブザンソン・シタデルにとっては旅順港の203高地のようなウィークポイントとなっている。ローマ人が目をつけたように、大砲の発達以前は難攻不落の地形であったが、一定の飛距離を持つ砲が登場すると、この城塞の防御力は一気に大きく後退してしまった。
このため、ヴォーバンは、占領後自らの手でブザンソン・シタデル周辺の高地も要塞化し、戦術要地を敵に攻略させない工夫をした。稜線に見える建物がそれである。また敵に高地を陥された時の用意に、traverse(横堤)と呼ばれる「弾避け」を設けて、砲弾による被害を軽減する改良をした。写真にも石組みとレンガ組の二種類のtraverseが見えているのだが、分かるだろうか。