妄想軍事考古学、続き

7年ほど前にブログに公開し、さらに4年前に再録した、高句麗VS百済・伽耶・倭連合軍の戦いでは、まるで見てきたかのように(考古学の得意技?)、両者がそれぞれ整然とした陣形を成して衝突した戦闘シーンを「再現」して見せました。しかし今考えてみると、百済はまあ良いとしても、伽耶や倭angaku3がそうしたハイレベルな組織的戦闘ができたかどうか、はなはだ疑問。

高句麗から見ると、伽耶や倭の兵士たちというのは、ローマのカエサルが見たガリア人の集団のような連中だったのではないか。高句麗正規軍の整った戦列に対して、同様の戦列をなして正面からがっぷり四つの戦いを挑むというような兵士集団ではなく、勇敢で精強ではあるけれど、デタラメな人たち。その横で、ほどほどに統制の取れた組織的戦いをする百済軍、みたいな……

その後の「研究の成果」に基づいて考えてみると、百済・伽耶・倭連合軍がどれだけ組織だった戦闘ができたか分からないものの、共通の武器としては(少なくともその一部は)、私が名付けたところの太平洋型長大弓、パシフィック・ロングボウが用いられたのではないか、という推測が導かれます。5世紀段階では、鉄鏃の型式も共有しているし。

いっぽう高句麗にとって、壁画に描かれたような複雑な兵種から整然と編成された軍団が本格的に機能したのは、倭との非対称な戦闘ではなく、燕のような大陸の大国との正規軍戦ではなかったのか。ご先祖様には申し訳ないけれど、そんなイメージを抱く昨今です。

 

Leave a Reply