弓を忘れた弓の名人

5500年ほど前、(おそらく漢族の人口圧に耐えかねて)アウトリガー・カヌーに乗船し、台湾から太平洋さらにはインド洋の島々に移住して行った人々がいる。オーストロネシア語を話す海洋民だ。西はマダガスカル、東は少なくともイースター島(南米まで渡って戻ってきた可能性が高い、というか間違いない)まで、大航海したことが、学術的に判明している人々だ。
その人々が携えて行ったのが、2m前後、時にそれを超える長大な弓。日本の和弓も、朝鮮半島経由でそれが日本にもたらされた、というのが私の見解である。
不思議なことに、そうした長大な弓を太平洋各地に伝えたオーストロネシア語族であるが、次第に弓を忘れてしまった。例えばフィジー人の場合、長弓を使った伝統的なスポーツがあって、石造の立派な弓道場を建築していたが、弓が戦闘に使えるということはすっかり忘れていた。そのため、フランス人の侵略を受けた時は、その優れた弓で反撃できるということに発想すら及ばす、近代的な銃に対して棍棒で戦闘を挑み、あっという間に制圧されてしまった。ニュージーランドでも、2m近い弓が発掘されているが、現在のマオリ族は弓の存在を知らない。ハワイに至っては、考古学的資料すら今のところない。

オーストロネシア語族が忘れてしまったのは、弓だけではない。古代ポリネシアにはラピュラ文化が栄え、土器が盛んに作られたが、現在では多くのポリネシア人が、土器作りを忘れている。海図もない大海原を小船だけで波濤を超える困難の中で、小錦や武蔵丸、並み居る著名ラグビー選手のあの巨大で頑健な体躯を身につける一方で、土器や弓を作るすべを忘れてしまったのが多くのポリネシア人である。

中島敦の名作「名人伝」の、「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」という一節を思い出す。

 

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