朝鮮半島南部という不思議なエリア

「原始和弓の起源」(2015『日本考古学』第39号)にも書いたことだが。朝鮮半島南部は、不思議な弓の分布パターンを示すエリアで、謎に満ちている。

よく知られているように、現在の韓国では、背側に動物の腱、腹側に水牛の角、その間に木を挟んで膠で貼り合わせた複合弓である、彎弓が伝統的な國弓として大切にされている。

ところが、朝鮮半島南端部では、日本の弥生時代に相当する原三国時代に、原始和弓に匹敵する長大な弓が確認されている。紀元前1世紀中頃の慶尚南道昌原市 茶戸里1号木棺墓(国立中央博物館2012)、2世紀前半 頃の金海良洞里21号木槨墓(図4‒25・国立金海博物館 2012)出土例である。それらの木製漆塗り長弓は、不確実には弥生時代から、確実には古墳時代中期から、日本列島の戦士集団の間で一般的に用いられ、その後は平安時代に竹を用いた複合弓へと進歩して、現在の和弓へと繋がってくる、「原始和弓」の祖型となった可能性が極めて高い。

日本の上長下短の長弓が、日本列島固有の弓、と信じそれを証明しようとして調べているうちに、そうした「民族主義的」な期待を見事に裏切られることになった私である。であるが、朝鮮半島南部では、はじめは和弓と類似した長弓が用いられていて、それが百済の滅亡などに伴い、北方騎馬民族系の彎弓に置き換えられた、ということになると、韓国の方々も少し複雑な思いをするかもしれない。日本の古墳時代に一般化する、弓弭の飾り金具、両頭金具も、朝鮮半島南部で列島に先んじて確認されている。

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いっぽう,朝鮮半島南部では三 国時代に入っても、6世紀代の昌寧松峴洞7号墳出土例(国 立伽耶文化財研究所2011)に示されるように、 短い丸木弓も使われていたことが知られている。太平洋西岸の森林地帯では、弓の登場とともに、短い丸木弓が使われていたと考えられ、日本列島の縄文弓と同じ系譜を継ぐものと想定できる。

さらに不思議なことに、弓出現期の北部ヨーロッパ、北極圏、さらに北米大陸に分布が広がるフラットボウが、先の茶戸里1号木棺墓から出土している。東アジアでは、唯一の出土例。

どうやら、朝鮮半島とくにその南半は、ユーラシア大陸中の弓が(たぶんそれに伴う多くの文化とともに)、漂着する終着駅だったようだ。日本列島の戦士たちが、そうした弓(と文化)の中から、お気に入りだけを取り入れて自家薬籠のものとした結果、半島側でそれが廃れたのちも、化石のように日本列島に残ることになった。そういうことらしい。

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