KauKauという謎

ふとしたきっかけで、KauKauという謎の言葉に注目することになった。巷では、ハワイ語で「食べもの」ということになっているようだ。国内にもKauKauカフェなんてのがあるんだって。で、ちょっと調べてみると、米俗語のchow(食事/食べもの)に相当する、ハワイ独特のピジン語らしい。

さて、ハワイ語といえば、オーストロネシア語である。ならば、KauKauもまた、そうである可能性が高いことになる。で、さらに調べてみると、ポリネシアやニューギニアでは、KauKauはサツマイモを意味する、と分かった。

ということは、KauKauは、今から5500年ほど前、オーストロネシア語族がアウトリガー付きカヌーに乗って台湾から太平洋の大海原へと船出した頃の、原オーストロネシア語には含まれていなかった言葉だ、ということになる。というのも、サツマイモは南米原産の植物で、オーストロネシア語族が大航海の末に、南米からポリネシアへと持ち帰った作物であることが、最近の研究で分かっているからだ。その大冒険をきっかけに、太平洋型ロングボウが、南米に伝播したに違いない、という仮説は、この間の論文で簡単に触れている。

オーストロネシア語族は、ある時期から大航海をやめてしまい、太平洋をまたにかけた交流が途絶える。とすると、KauKauという言葉が、ハワイに伝えられたのは、サツマイモがポリネシアに伝えられて以降、オーストロネシア語族の大航海時代以前ということになる。その過程で、KauKauという言葉本来のサツマイモという具体的な意味が脱落し、食事や食べものといった抽象的な意味だけが言葉として残った。そう推定できる。KauKauで画像検索すると、焼き豚系の肉料理の写真がたくさんヒットする。サツマイモ変じて豚になってしまったわけ。

というわけで、4年ばかりお休みしていたブログを、少し趣向を変えて再開。

考古学徒の基本装備:Macで音声入力

いきなりですが、Macの音声入力の話です。
実は今、この数年間にモレスキンに書き記してきた、あれやこれやのメモの中で、仕事に関係する内容を、テキストに移す作業をしています。スキャンして、それをevernoteに貼り付けても良いのですが、スキャニングって意外と面倒です。それに、いずれにしても最終的にはテキストに変換して使いたいと思っています。それで、手抜きが好きな私としては、MacOSの力を借りようと考えた次第です。意外と使えます。実際この文も音声入力で書いています。一般的な文章なら9割位の認識率です。iMacに内蔵されたマイクを使っています。
ためしに考古学関係の単語を変換させてみましょう

日本考古学の現状と課題
前方後円墳
この程度の一般的な単語であれば変換してくれます。
なかなかいい感じ?

でも、考古学の用語は基本的に変換できません。
例えば次のようになります。
時や赤旗は変換できない <「土器」や「石器」は変換できない

要は使い方(使い道)次第でしょうか。
考古学の論文をそのまま書くのには向いていないと思います。

今の作業で困っている単語が例えば喧嘩。 <本当は「原価」にしたい!
何度認識させても喧嘩になってしまいます。これは困ります。修正していける仕組みがあればいいけれど今のところないようです。

どなたかもっと上手な使い方をご存知でしたら教えてください。

ところで一気にMacの話になってしまいました。単に実用ということであれば、 Windowsマシンでもいいかもしれません。そのあたりは、たかがメモ帳に高いお金を払ってモレスキンを使うのは、どうしてかという話にもつながってくるのですが。理由はいろいろありますが、その辺については、おいおい書いていく予定です。それにしても、Macの音声入力なかなか使えます。この程度の内容の文章だったらキーボードで入力するより、ずっと楽です。ちなみに今、iTunesでモーツアルトを聴きながら、文を書いていますが、音声入力するときには、自動的に切り替えてくれます。

さらに話が飛びます。モレスキンですが、アマゾンで買うと半額くらいの金額で買えます。どうやら、ユーラシア大陸東部に広大な面積を占め、それでもまだ欲張る、覇権主義的な国家で作られているようです。そのため、モレスキンの海賊版が100円ショップに出回っているそうです。私は手に取ったことがありませんが、ほとんど変わりがないようで、見た目の違いは後にポケットがないだけだそうです。100円でMoleskineが手に入ってしまう?

考古学徒の基本装備「野帖」を考える(2)

 しばらく考古学専攻生の基本装備としてのモレスキンについて書きます(今回から「です・ます」調に変更)。最近はモレスキンも色々バラエティーに富んできて、中にはかなりチャラチャラした製品もありますが、ここではモレスキンといったら黒くて固い表紙の定番「クラッシク・ノートブック」のことです。
 ところでモレスキン(モールスキン)という名称は、ご存知のようにmoleskinすなわちモグラの毛皮からきていますが、生きたモグラに触ったことありますか。
 幼年期から少年期にかけて、私は栃木県南部の間々田町乙女(現在の小山市間々田地区)というところに住んでいました。小学校まで約2キロ、歩いて30分余りでした。その通学路が中世の鎌倉道に当たると知ったのは、ずっとあとのこと。利根川水系の水田地帯を眺めながら、雑木林の広がる台地の縁に沿って延びる野良道は、最高の遊び場で、いつも道草を食いながら帰りました。春はカエルがいっぱいいるし、夏はクワガタやセミだらけ、秋になるとチタケがいくらでも採れました。その台地に縄文時代の大集落と墳墓群、古墳時代後期の群集墳が広がっていることを知ったのは、これもずっと後のこと。台地の崖に下野薬師寺に瓦を供給していた奈良時代の乙女不動原瓦窯跡があって、コンサルタントとしてその復元を担当したのは、さらに後のこと。
 小2の夏休み直前のある朝、小学校の隣りの畑で大勢が騒いでます。行ってみると、モグラが地面の上でジタバタしていました。みな興味津々だけれど、誰も触ろうとしない。そこで私が捕まえて、教室に戻り、自分の机の中に放り込みました(当時は木製で、天板の一部が外れて蓋になるタイプ)。家に持ち帰って飼育しようという魂胆でした。ところが先生がやって来ると「岡安くんがモグラを机に入れています」と告げ口する奴が現れました(机のなかでガサゴソ音を立ててるし)。敢え無く「岡安くん、外に放してきなさい!」ということになって、仕方なく畑に逃してきました。それが私のモールスキンとの馴れ初め。
 さて、閑話休題。モレスキンのノートブックをどう使うか。これは極めて簡単です。記録しておきたいと思った、ありとあらゆることを、順番に書いていけば良い。それだけです。ただし、必ず書いた日時と場所を、できれば簡単な状況も、冒頭に記録しておくこと。例えば、「2012年9月16日10:23@神保町桜カフェ(例の凹んだコーナ)で、熱いマサラチャイを飲みながら。雨が降ってきた」とか。このくらい書いておくと、あとで読み返した時に、鮮明に記憶が蘇ります。
 こうやって時系列(内容はそれこそアトランダムに)に書き並べておくだけで、後になって「あの時の”あれ”はどこに書いたんだっけ?」という記録が、意外なほど簡単に見つかるものです。一人でメモできる情報量なんてたかが知れてるから、何でもかんでも順番に書きためていくだけで大丈夫。あとで「あの頃に書いたはず?!」と何となく心当たりのあるページを「パラパラ」っとやれば、ほぼ見つかります。そしてその「パラパラ」の間に、前後のさまざまな記憶が蘇ってきて、どういう文脈でその発想に至ったか、などということも思い出せます。
 実はイタズラ書きも意外と役に立ちます。研究会で誰かの発表を聴きながら、少し飽きてきて描いたグルグル巻きを見て、その発表で何が問題だったか、はっきり思いせたりします。その折々のイタズラ書きも、大切な情報源です。
 日時と場所(とできれば簡単な状況)をメモして、あとは授業のメモだろうが、デートの約束だろうが、何かの思いつきだろうが、読書メモだろうが、遺物の観察記録だろうが、総ての情報をモレスキンに順番に書き込んでいく。それだけです。というか、そこからです。
 「そんなのライフハックでも何でも無いじゃん!」とお怒りのあなた。千里の道も一歩からといいます。いずれEvernoteの活用の仕方なんてことも書いてみたいと思いますが、原始的、原初的な野帖の使い方、それが出発点です。数学の複雑難解な体系だって、最初は四則演算の定義とか簡単な定理の証明からから始まるでしょ。考古学専攻生のライフハックも、野帖にとにかく順番に何でもメモしていくという、単純で簡単な作業からその一歩が始まるというわけです。
 とはいえ、多少のライフハックごとを書いておくと、写真に写っている筆記具は、ゼブラ クリップ-オンスリム4C(B4SA-BK)。黒青赤緑の0.7mm径ボールペン4色と0.5mm径のシャープペンが合体した多機能ペンです。何かと便利なので、もっとシンプルなボールペンと一緒にいつもバッグに入れています(よく忘れますが)。なお、蹄鉄は佐渡島で入手した、おそらく明治時代後半位の時期のもの? 西洋種を取り入れて改良が進む前の段階の馬匹用で、びっくりするくらい小型です。

考古学徒の基本装備「野帖」を考える(1)

 ジャングルに一人踏み入る時、たった一つだけ道具を持っていけるとすれば、君なら何を手にするだろう? 私なら、よく切れる頑丈な大ぶりのナイフを1本、手にする。というようなことが、数十年前に使っていた現代国語の参考書に書いてあった(高田瑞穂『新釈現代文』”ちくま学芸文庫”として再刊されている)。
 さて、考古学という荒野に旅立つ君が手にする「ナイフ」は何になるだろう。それはおそらく、頑丈な野帖に違いない(もちろん筆記用具も)。PCとかネットワーク環境とかカメラとか、そして遺物の実測用具とか、いずれ考古学研究の七つ道具が必要になるのはもちろんだけど、我々考古学徒の道具の原点は、あらゆることを記録するためのフィールドノートに違いない(あ、スコップとか竹べらとか、掘る道具は別にしてね)。
 野帖(帳)といえば、緑色の表紙に金文字でSKETCH BOOKと印刷された測量野帳が、我々の昔からの定番である。縦横160×91ミリの大きさで、3ミリ方眼の罫線、80頁の小ぶりの手帳。発掘現場に行けば、まず必ず目にする考古学に欠かせない道具といえる。
 考古学専攻生の基本アイテムとして、緑色の測量野帳は、第一候補に上げられそうだ。1冊150円前後と安価なのも、学生としては嬉しいはずだ。
 しかし、ここでは別の「野帖」を強く薦めておく。モレスキンのノートブックだ。9x14cmと測量野帳より小ぶりだが192ページと厚さがある。そして1890円と高い。測量野帳を12冊買ってお釣りが来る値段。
 発掘現場で使う場合は別として、日常の知的活動に利用するのに、測量野帳でなくモレスキンを薦める。それはなぜか。一つは、ページ数、その厚さの違いである。まとまった情報を記録し、持ち歩くためには、測量野帳の厚さだとちょっと不足する。そして、もっと重要なことは、奇異に感じられるかもしれないが、モレスキンの価格が、買えない程ではないが、かなり高価であるという点である。
 なぜ高価な手帳の方が良いのか。それは君にとって生涯の貴重な知的財産となる手帳だからだ。頑張って使ってもせいぜい年に2冊程度。3冊使えたら大したものである。そしてそれが年々積み重なって、10冊位になるあたりから、カール・マルクスが言うところの量の質への転換が始まる。考古学徒の常なる目標、良い論文を書くための宝庫になっていく。だから大切に保管し、日々読み返すためにも、手帳には少し贅沢をしたほうが良い。プチ投資を惜しむな。というのが私が経験的に学んだ教訓である。
 手帳は、ある程度贅沢に作られた、頑丈な品が良い。ただし、製作元の都合で販売中止になるような品は困る。あと何十年か、同じ仕様の製品が提供される定番品が安心できる。イチローもジョブズも、同じアイテムを使い続けることにこだわる。それには理由がある。そうしたことが、モレスキンを薦める理由である。
 考古学では図をメモ描きすることも多いので、スクエアードノートブック(方眼) が良いと思う。モレスキンの定番であるハードカバーには、普通の大きさのものと、13x21cmのラージサイズがある。どちらでも良いし、並行して両方を同時に使ってもよい。次回、その使い方を簡単に記してみたい。

ドラッカーの特記仕様書

 はじめて企業というものを体験したのが45歳、ドラッカーを読んで企業人としての意識に目覚めたのが50歳という、企業人としてはきわめて奥手な私ゆえ、著名な実業家についても疎い。
 倉重英樹に関しても、最近ひょんなことから、その名を知った。面白そうな人なので、アマゾンのマーケットプレイスで著作や翻訳書を入手。ついでに北城恪太郎の著作も注文した。全て1冊1円、送料250円であった。いずれも、かつてのIBM経営陣である。暇をみつけてページをめくっているうちに、日本IBM最高顧問が盗撮で捕まったのには、ちょっと苦笑いさせられた。
 ちなみに、倉重英樹はIBM副社長からPWCコンサルティングに移り、抜本的な企業変革で社員10倍、売上20倍の急成長を実現し、その後もソフトバンクによる日本テレコム統合などをめぐって活躍している著名な実業家である。

倉重英樹(くらしげ ひでき)IBMビジネスコンサルティングサービス代表取締役会長。早稲田大学経済学部卒業。日本アイ・ビー・エム取締役副社長を経て、1993年にプライスウォーターハウスコンサルタント代表取締役会長に就任。2002年10月、IBMとの統合により社名変更し、現在に至る。(倉重英樹、2003年『プロフェッショナリズムの覚醒』ダイヤモンド社、の著者紹介から)

 倉重は「もともと座学が嫌いで、40歳になるまではほとんど本も読まなかった」そうだが、IBMの営業本部長になって600人の部下を抱えるようになった時、必要に迫られて必死で経営学の勉強をしたという。そして10年後、その勉強の成果を自ら問うべくIBMを離れ、コンサル会社のトップに立ち獅子奮迅、先に記した有名な成功を果たした。著作は、まあ、その自慢話である。
 40歳になった倉重は何を勉強したのか。著作を読むと、すぐそれが分かる。そうとは明記していないが、間違いなく基本はドラッカーである。でなければ、次のような言葉は出てこないだろう。

変革ビジョンをつくるためには、まず「われわれは何か」を明確にしなければならない。私はPWCを次のように定義した。……(倉重『プロフェッショナリズムの覚醒』25頁「トランスフォーメーションの断行」)

 この方針は、ドラッカーの次の考えに明確に対応している。

あらゆる組織において、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには、「われわれの事業は何か。何であるべきか」を定義することが不可欠である。……事業の定義があって初めて、目標を設定し、戦略を発展させ、資源を集中し、活動を開始することができる。業績をあげるべくマネジメントできるようになる。(ドラッカー/上田惇生訳、2001年『エッセンシャル版・マネジメント−基本と原則』22−28頁)

 倉重はこの定義を出発点に、シンプルで機能的な、ジャズバンド型組織へと、組織改革した。トップの下に4人の本部長、その下にいくつかのチームという単純な浅い三層構造である。同時にいちはやくネットワークを活用して、ピラミッド型組織に特徴的で、組織の硬直化を招きやすい、上下間の情報格差を解消し、情報共有を実現して社内の風通しをよくする、そうしたところから改革に着手した。
 ドラッカーもミドルマネジメント増加の弊害について、次のように記している。

あらゆる先進国においてミドルマネジメント以上に急速に増加した人口はなかった。… ミドルマネジメントについても、過剰になることほど害の大きなものはない。成果を超えた害を与える。成果と意欲に害を与える。… 何よりもまず、ミドルマネジメントから脂肪分を除去しなければならない。

 日本では、小さな企業ほど、社員総数に対するミドルマネジメントの割合が多い。みな、肩書きを欲しがるからである。従業員数100人の企業が、1万人規模の企業の向こうを張って、代表取締役から始まり、副社長、常務、専務、平取締役、部長、次長、課長、課長代理と、呆れるくらい深い組織階層を「誇って」いる。しかも情報格差が著しい。情報を握っていることだけが取り柄の上役が、情報を出し惜しみするから、部下は右往左往するしかない。挙句の果てに、赤字でのたうち回ったりする。
 ただし、ドラッカーはミドルマネジメントの存在を否定しているわけではない。とくに、かつては知られることもなかったような仕事の人たち、新種のミドルマネジメントについては、そうである。

伝統的なミドルは命令する人だった。これに対して、新種のミドルは知識を供給する人である。伝統的なミドルは、下に向かって、すなわち自分に報告する人間に対して「権限」を持つ。新種のミドルは、上や横に向かって、すなわち自分が命令できない人間に対して「責任」を持つ。彼等は専門家である。彼らの決定と行動とが、組織の方向と能力に直接影響を与える。…… これら新種のミドルの知識専門家を効果的な存在とし、成果をあげさせることが、われわれにとっての新しい課題である。それは今日、マネジメントにとっての中心課題である。(『エッセンシャル版マネジメント』142−144頁「ミドルマネジメント」)

 ドラッカーを教科書にして(ということは明記していないが)、コンサルタントという知識専門家を上手にマネジメントした結果、それが大きな成果に繋がった、というのが倉重の著作のエッセンスである。ドラッカーの著作が、多くの企業に通用する共通仕様書であるとすれば、それをPWCにあてはめた特記仕様書が、倉重の一連の著作である。というのが、とりあえずの私の結論。

 

9/5/’12 鹿鳴荘便り【戦後史本/ ホタテ貝/ 裁判傍聴】

難波紘二先生のメルマガです。

各位へ:(転載自由です)
1.【ファイル名】ときどき受け取ったファイルの名前が文字化けしていて「?????.DOC」のようになることがある。開くのには問題ないので、後で名前を付けておく。
 相手がWIN機の場合に起こるようだ。
 今回、書評のファイルを送ったら「ファイル名が読めない、開けない」というクレームがあった。相手はWIN機だと思う。
 これまでこういうことはなかった。問題のファイルには「森鷗外」という文字があった。「鷗外」の「鷗」という字は、特殊文字で「第二水準」にない。「鴎」ならある。
 
 恐らく「鷗」の文字のところで、ファイル読み取りに失敗して、このためDOCファイルが読めなくなったのだと推測するが、どなたか詳しい方があったら、お教え願いたい。
これは機種依存文字ではないと思うが。

2.【戦後史の本】高校社会科のS先生からメールを頂いた。「戦後史の正体」についてだ。

<「戦後史の正体」,だめでしたか。私はまだまだ不勉強ですね。メールをしてしばらくして,本を購入してお送りすればよかったと後悔しました。
しかし,教育業界におりますと,授業内容の幅を広げるために,端的に言えば手っ取り早い本がどうしても欲しくなります。
歴史家や研究者と同じようなリサーチはなかなかできません。
信用できる,そして現代的に有意義な概説書はないでしょうか。そんなものに頼るなかれといわれればそれまでですが。
しかし,南伸坊の「免疫学個人授業」をはじめとする「個人授業シリーズ」は概説書でもありますよね。こういうのが社会科関連, 特に歴史関連では乏しいんです。>

 日本の戦後史はきわめて特異である、というお話しを、いま国際司法裁判所の所長をしておられる小和田恒先生からお聞きしたことがあります。
 どう特異的かというと、ドイツでも朝鮮半島でも「冷戦構造」は国家間対立のかたちをとったのに、日本では「国内対立」のかたちを取った。
 右派(親米)対左派(反米)の対立です。1945〜1950までは、この対立で政治が動いていた。

 1950年の朝鮮戦争勃発は、大きな転機でした。日本は思いがけない「漁夫の利」をえて、特需ブームに沸きました。戦場の後方補給基地として、日本経済に復興活力が与えられたのです。朝鮮戦争が休戦に入り、52年に「サンフランシスコ講和条約」が発効すると、やっと独立させてもらえました。もちろん「日米安保」と引き替えです。7年間も主権を失い、占領下にあった国はそう多くないでしょう。

 ここで共産主義に幻滅した左派は右派と妥協し「55年体制」が成立したわけです。当時は文化的にも「3S」つまり、スクリーン、セックス、スポーツというアメリカ文化が花盛りでした。洋画は1960年代まではイタリア、ドイツ、フランス、英国、ソ連などがありましたが、70年代になるとハリウッドが独占してしまいます。
 石原慎太郎は今は「反米自主独立」みたいなことを言っていますが、彼の芥川賞受賞作「太陽の季節」は3S文化を描いたものです。石原裕次郎を描いた「弟」を読めば、アメリカ文化にどっぷり浸かっていたことがよくわかります。

 アメリカ文化へのあこがれは、戦後日本の基底通音のようなもので、今でもプロ野球の選手は「大リーグ」に行きたがっています。
 ITだって、マイクロソフト、アップル、グーグルetcと、全部アメリカに押さえられています。

 経済の回復のために、「傾斜生産方式」とかいろいろ試みられましたが、国民の「やる気」を引き出すには池田内閣の登場を待たなければならなかった。池田首相の「所得倍増計画」が高度成長経済のトリガーとなったのです。彼の外交はフランスのドゴール将軍に「トランジスター商人」と揶揄されました。今はどこの国のトップも商人になって、売りこみに必死です。

 国民皆保険や年金制度が整えられたのも、年率10%の経済成長があったからです。
 70年代後半になると、日本製の家電製品はアメリカ市場を圧迫するようになり、80年代になると自動車輸出がそうなります。
 「日米貿易摩擦」の始まりです。

 60年代の制度設計者が見落としていたことがあります。平均寿命の延長と晩婚化による少子化です。総人口の減少です。
 アメリカはこの問題を「移民」の受け入れで乗り切って来ました。日本はこれができなかった。このため人口構成が逆ピラミッドになった。
 両国とも政府は巨額の財政赤字を抱えていますが、日本の方がより深刻です。

 孫崎亨「戦後史の正体」の難点は、こういう大きな見取り図(これは誰かの意図ではない)を提示できないまま、個々の事件を特定の個人あるいは組織の企てとして説明しようとする点にあります。典型的な「陰謀史観」です。この程度の人物が局長になれるということが、日本外交がいかになっていないか、ということの傍証です。

 現代史を書くということは、依拠する資料だけでなく、書き手の知識に幅が必要です。外交資料だけ知っていてもだめです。自然科学にも、医学にも理解が必要です。石井部隊がなぜ免責されたか、生物兵器の当時の知識なくしては読み解けないでしょう。

 秦郁彦氏は、個別問題には熱心で実証的な研究がありますが、戦後史の通史は書いていないと思います。書いてほしいとは思いますが…
 最近は「病気の日本近代史」,文藝春秋, 2011のような医学史の本を書いていますね。

 通史としてあげるとすれば、
 1)中村正則:「戦後史」岩波新書, 2005(これは引用文献、索引及び年表がしっかりしています)
 2)河野康子:「日本の歴史24:戦後と高度成長の終焉」, 講談社, 2002(これも文献、索引、年表あり。もう文庫になっている?)
 でしょうか。

 半藤一利とか保阪正康はジャーナリストで、資料の学問的吟味ができていないので、ダメです。それに著書には、文献も索引もない。
 半藤一利:「昭和史戦後編」, 平凡社
 保阪正康:「昭和戦後史の死角」, 朝日文庫

 それと年表ではなく、「日本全史」(講談社)のような資料集を備えておくことが重要です。これは索引がしっかりしています。

3.【ホタテ貝】1995年にスペインのマドリッドで学会があり、その後レンタカーしてバルセロナ、アンゴラをへてピレネー山脈を抜けてフランスのツールーズに行った。
そこで病理学の教授の家に夕食に招かれ、「サンチャゴ巡礼」の話を聞いた。中世にサンチャゴ巡礼が盛んになり、路程に修道院ができ、それが巡礼の宿泊所や避難所となり、病院の起源となったというのである。その目印がホタテ貝(Scallop)だった。だから今でも「シェルShell」はガソリンスタンドの目印なのだ、という話だった。

 Santiagoという都市はチリの首都、キューバの都市、それにスペイン西部の町とあるが、最後のSantiago de Compostelaが発祥の地である。
 でこのSantiagoだが、Sanctus Jakobus(聖ヤコブ)がなまったものらしい。このヤコブは「新約」マルコ伝にあるガリラヤの漁師ゼベタイの息子で、イエスの弟子になった兄弟ヤコブとヨハネのうち、兄のヤコブのことで、エルサレムで殉教した後、遺体がスペインのこの地に運ばれ埋葬されたという荒唐無稽な話がある。それで墓がここにあるのだそうだ。

 7世紀にイスラム教徒がエルサレムを支配したので、聖地巡礼ができなくなり、坊主共がそういう話をでっち上げたらしい。スペイン南部と今日のポルトガルもイスラム支配下に入ったので、北部のこの地のみがかろうじてキリスト教圏に残っていた。そこでこの地が「聖地参り」の地になったというわけである。「メッカを見ずして死ぬ」とか「日光を見ずして結構というな」とか、「お伊勢参り」とか、昔の聖地巡礼はみな「物見遊山」の要素があったので、それはそれで構わない。

で、Compostelaの地名の意味だが、X.R.M.フェロ(川成洋監訳)「サンティアゴ巡礼の歴史」(原書房)を読んだら、明らかになるかと思ったら、「ホタテ貝の貝殻と騎士」のイメージはいろいろ出てくるが、そのものずばりの説明がない。川成洋は北大文学部を出て、スペイン史を専門にし、「教養」に関する著書もあるだけに、ちょっと失望した。

 15世紀イタリアのボッチチェリの絵「ヴィーナスの誕生」で、ヴィーナスが乗っている舟はホタテ貝である。ホタテ貝そのものはラテン語でpecten(櫛)というので、Compostelaはcompo-とstelaの合成語であろうと察しがつく。貝はconchaなので、直接結びつかず、恐らくcompoono(形をしている、配列する)という動詞とstella(星)という名詞がくっつき、後にLが一つ脱落して「星の形をした」という意味になったのであろう。

 フェロの本に載っている、中部スペインのブルゴスに今もあるという巡礼の里程標を見ると、ホタテ貝の放射状の梁だけが浮き彫りにされている。まさに星形である。
 もともと教会の庭で土産物業者が貝殻を売り始めたのが、いつのまにか巡礼のシンボルになったらしい。ちょうど厳島のしゃもじのようなものだろう。

4.【裁判傍聴】昨4日、「難波塾」の4人で松山に裁判傍聴に行って来ました。50歳で糖尿病から脳梗塞を発症し、リハビリ17年のセーヤンも初参加。糖質制限食で血糖とHbA1c血も改善し体調はよいそうです。NPO事務局のKさんはおからを食べすぎで、体重が増えてきたそうです。豆類には結構糖質が含まれています。豆腐はその絞り汁でタンパク質溶液をにがりで固めてつくるもの。米でいうと胚芽の部分にタンパク質があり、白い部分がおからに相当します。だからおからの食べ過ぎは白米食と同じ。
 ちなみに「食品標準成分表2005」によると、おから100gの糖質量は13.8gで、タンパク質の2倍以上あります。

 肝腎の裁判は、次回の非公開での裁判官、原告及び被告側弁護士の打ち合わせ日を設定しただけで5分で終了。なんじゃこれは!
 次回から「人証(じんしょう)」、つまり「書証(しょしょう)」(書類による証拠)に対して証人による証拠をこう呼ぶのだそうです、調べに入るのだそうです。
 ここまで来るのにまる4年!
 日本の裁判の非効率さにあきれてしまいます。

 終わって東京から来た原告側弁護士が二人、若い方は書類を入れたキャリアーを引っぱっていましたが、裁判所を出て行くのを見かけました。
 主任の宮沢弁護士も初めの頃の勢いはなかったですね。何だか仕事でやっている感じ、疲労感が滲んでいました。

 弁護団記者会見では、光成弁護士から「病腎移植の結果はいちじるしく悪い」とした高原発表の元となったデータ一覧表が、寺岡慧移植学会理事長(当時)から提出されたことが明らかにされました。市立宇和島病院25例のデータで、「市立宇和島病院が作成したもの」と被告側は主張しているそうです。
 後で一部を見せてもらいましたが、移植日が平成と西暦で記載されているという妙な一覧表です。

 記者会見では、4月の人事異動でまた顔ぶれがだいぶ変わっていました。質問そのものは、NYT東京支局長のマーティン・ファクラー氏がいうように、低調です。
その代わり終わってから個人的質問で弁護士のところに詰めかけるのが目立ちました。
 見ていて「これは授業中には質問しないで、終わってから質問に集まってくる大学生と同じやな…」と思いました。
 
 テレビを見ていていると「ぶらさがり取材」というのがあり、非常に奇異な感じをうけます。失礼だし、みっともない。
 定例記者会見の場はあるはずなので、そこで徹底的に質問攻めにすべきだと思います。
 なんか、日本の報道のあり方自体がガラパゴス化しているのではないか?と思わせます。

 これから国会議員が中心になって、「修復腎移植」問題について、賛成反対両意見の学術公開討論会を開催するという方向に動くようです。
 11月は総選挙といわれていますから、ぜひそれ以前にやってほしいものと思います。

 ご一行様4名は大街道という商店街の店で時間をつぶし、18時の船で呉に戻りました。お疲れさまでした。
 家内が迎えに来てくれ、東広島のファミレスで夕食をして帰宅したら22:00を廻っていました。

難波メルマガ8月28日号

難波紘二先生からのメルマガです。

各位へ:(転載自由です)
1.【歴史の真実】「歴史の真実と政治の正義」は別だというタイトルの本を書いたのは山崎正和だが、新聞を読むと実に不勉強で、事実をきちんと伝えようとしていない。

 「天津条約」(1885)で、朝鮮に対する清と日本の立場は平等と定められたにもかかわらず、清は「宗主国」の立場を強化した。
 1887年に朝鮮政府が日米など7ヶ国に全権公使を派遣しようとしたとき、清は「公使派遣には清国皇帝の許可が必要」とこれを妨害した。
 日清戦争(1894/7〜1895/3は、朝鮮を併合しようとする清とそれに対抗する日本の戦いであった。

 その結果結ばれたのが「日清講和条約」(下関条約とも: 1895年)である。
 その第一条はこうなっている。(原文は漢字片仮名文)
 「第一条:清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す、因って右独立自主を損害すべき朝鮮国より清国に対する貢献典礼等は、将来全く廃止すべし」
 全11条あるが、以下は割愛する。

 日清戦争の戦費及び兵士、馬匹の損害は以下の通りである。(「参謀本部資料」)
 1)兵員死傷=1万7,280人
 2)馬匹損失=1万1,532頭
3)戦費=2億47万5,508円(「下関条約」第2条の賠償金でほぼ埋め合わせ)

この条約によって朝鮮は初めて中国の属国の位置から脱却したのである。それまでは朝鮮には固有の年号がなく、中国のものを使用していた。1896年1月1日から太陽暦を採用し、1897年には国王を「皇帝」と改称し(清の属国だったらこれはできない)、同年10月14日に「大韓帝国」と国号を変更したのである。

 こうして史上初めて独立国となったのだが、「自尊独立」の気概に欠け、清がダメになったら、今度は南下を目論むロシアを頼りにするようになった。何しろ皇帝が1年以上もロシア大使館に亡命したくらいである。国家指導者も大きな展望がなく、分裂していて互いに争っていた。
 こうして1904/2に日露戦争が起こり、「日韓議定書」、「第一次日韓協約」などにより、日本は朝鮮に対する実効支配を強めた。

 しかし、「日韓議定書」の第三条はこうなっている。
「第三条: 大日本帝国政府は大韓帝国の独立及び領土保全を確実に保証すること」

 1905/9に「日露講和条約」が結ばれると、「第二次日韓協約」により朝鮮総督府が設置された。
 日露戦争における、日本の損害と戦費は以下の通りである。(「参謀本部資料」)
 1)死傷=11万8,000人
  捕虜=2,000人
 2)馬匹=3万8,300頭
3)艦船喪失=91隻
 4)戦費=2,251億5,448万1,790円

 1907/8には韓国軍隊は解散し、治安と国防は朝鮮総督府の管轄下に入った。
 1909/12には韓国人団体「一進会」から「韓日合邦」の要望書が出された。
 翌、1910/8に韓国を日本に併合する「韓国併合に関する条約」が締結された。この時に「韓国」から「朝鮮」に名称が変更された。

 この条約第一条と第二条はこうなっている。
 「第一条: 韓国皇帝陛下は、韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す。」
 「第二条: 日本国皇帝陛下は、前項に掲げたる譲与を受諾し、かつ全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す。」

 「征韓論」の頃から日本に韓国に対する領土的野心があったことは事実だが、それを見抜き日本との外交を上手く処理して行く能力が朝鮮には欠けていた。「事大主義」で、清朝がダメならロシア帝国に頼るという日和見外交だった。それが日露戦争の結果、追いつめられれて、皇帝自らが国土と統治権の「譲与」を申し出たのが、「日韓併合」の真実である。この間の日本の国際法上の措置は、手落ちがない。それはイサベラ・バード「朝鮮紀行」(講談社学術文庫)を読めばよくわかる。

 何度も蒸し返される「慰安婦問題」だが、国会図書館の関連重要文書は、何ものかに盗まれているという。が、国会図書館関西支所に戦前の「朝日・朝鮮版」のマイクロフィルムが保存されていたという。水間政憲『朝日新聞が報道した<日韓併合>の真実』(徳間書店)には、日本語版とハングル版の記事写真がたくさん掲載されていて、一種の写真集である。

 これを見ると、普通の民間人を騙して、売春婦として売ったのは朝鮮人の悪徳業者であること、売った先は中国や東南アジアの売春業者であること、日本軍は陸軍省が1938年3月4日に「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という命令書を発し、「社会問題上遺漏なきよう配慮せよ」と、悪徳業者の排除を命じている。
 なお兵士の給料が軍曹で月30円なのに、慰安婦の月収は平均して1,000円もあり、これが魅力で自発的に志願したり、親に売られた娘も多かったそうである。
なお借金を返したら自由となり、帰国するものもいたという。

 「性奴隷」と韓国はいうが、奴隷とは食わしてもらうだけで労賃を一切払ってもらえない者をいう。日本軍下士官の33倍の月収がある奴隷などいるものか。
 
 「悪徳紹介業者が跋扈、農村婦女子を誘拐、被害女性が百名を突破する、釜山刑事が奉天に急行」(「東亜日報」1939/8/31付)
 という見出しが付いている。漢字交じりのハングルだが、助詞だけがハングル、他は漢字なのですぐに読める。
 つまり釜山近郊から約100名の婦女子が誘拐され、満州奉天に売られたということだ。「悪徳紹介業者」とは朝鮮人の業者のことだ。

 「政治の正義」は力関係や外交的配慮で変わることがある。日清戦争後の「三国干渉」で遼東半島を放棄したのがその例だ。あの時、日本国民は「臥薪嘗胆」を誓った。
 「政治の正義」は変わるが、「歴史の真実」は変わらない。その真実をこそ、メディアは伝えなければいけない。

2.【大使襲撃】丹羽駐中大使の車が襲われ、国旗が強奪されるという事件が起こった。

 1960年6月10日、反安保闘争のさなか、米大統領新聞係ハガチー秘書官が来日したところ、羽田空港で共産党系の学生デモ隊に車を包囲され、身動きできなくなるという事件が起こった。デモ隊は両側から車を持ち上げてゆさぶり、プラカードで車を叩き、窓ガラスを割るなどした。このため米軍が救出に出動し、ハガチーはヘリコプターで脱出した。
 共産党は一貫して反米だったから、まあ首尾一貫しているともいえよう。しかし、外交的には言語同断のやり口で、今の中国とそっくりだ。

 この事件はそれで終わらなかった。当時の全学連主流派は反日共系であり、ハガチー事件が国民にショックを与えたことから、より過激な運動を展開することを考えた。それが6月16日の「国会突入事件」である。
 新聞などでは偶発的なものと報道したが、あれは反主流派の指導権を握っていたブント(共産主義者同盟)が、計画し主導したものである。そのことは、当時の指導者故島成郎、西部邁、青木昌彦などの証言や著書から明らかになっている。この突入で東大生樺美智子が死亡した。彼女もブントのメンバーであった。

 日本も幕末に「生麦事件」、「堺事件」、「品川英国公使館焼き討ち事件」などを起こしているから、あまり偉そうなことはいえない。しかしあれは150年も前の話で、江戸幕府の時代だ。中国でいうと「義和団」事件に相当する。

 ハガチー事件や国会突入事件を考えると、丹羽大使襲撃事件は偶発的なものではなく、背後に中国政府の策謀があると考えるのが妥当だろう。丹羽大使の乗った乗用車は外交官専用車であり、中国政府はあらかじめ警察による警備体制をかためておくことができたはずだ。また、妨害活動中に暴漢を逮捕できた筈である。
 にもかかわらず、警備措置も逮捕もなかったことは、中国政府が容認していたということだ。たぶん、車両番号が判明していても、犯人は検挙されないし、本格的な捜査も行われないだろう。要は弱腰の日本政府を脅して、譲歩を引き出すのが中国政府の目的なのである。
 間違っていたら、謝罪して訂正する。しかし、その必要性は生じないだろう。

 来日中のロシア皇太子が襲われた、1891/5の「大津事件」(1891)では、国家間紛争へと発展するのを憂慮した、市民畠山勇子(27)がロシアに詫びて、京都府庁前で謝罪自殺している。
1895/4/17, 第二次日清講和条約交渉のため下関に来日した清国全権大使李鴻章を、会場からの帰途を待ち受けていた自由党壮士、小山豊太郎がピストルで狙撃し、全権大使が重傷を負うという事件が発生した。この事件に謝罪の意を表すため、日本政府は清国の要望を容れて、講和条約の締結を早めることにした。

 これら、巡査津田三蔵によるロシア皇太子襲撃事件、自由党壮士による李鴻章襲撃事件が、日本外交にプラスに作用したことは一度もない。
 日本政府は、これら「歴史の真実」から真摯に学び、中国政府に対して、毅然とした態度をとるべきであろう。

3.【糖質制限食】宇和島のK先生からメールがあった。
 <先生のメルマガを見て、メシを食っていると、NHKの第一放送で山田悟先生の「糖質制限食」についての放映がありました。>
 5時台の「夕時ネット」という番組だったらしい。米糖尿病学会はすでに2008年から、これを「食事療法」として推奨しており、「燎原の火」の如く、日本でも民間に広まって行くだろう。「学会は学問の先端にいない」という例のひとつである。移植学会も同じ。30年前の知識を振りかざしている。

 時間が取れたら、糖質4Kcal/g、タンパク質4Kcal/g、脂肪9Kcal/g、エタノール7Kcal/gという「栄養学の大前提」と、それに基づく「1単位80Kcal」という今の糖尿病カロリー制限食のどこが根本的に間違っており、患者が実行できないかを詳しく説明した本を書きたいと思う。「栄養学がおかした根本的間違い」がよくわかるような本にしたい。

 『血液型と性格』、『第三の移植』の仕上げもあるし、結構忙しい。

 ユタ州のF先生からのメールで、「糖尿病性腎症のある死体腎を移植に使用したところ、生着機能成績がきわめてよい」という多数症例論文が発表されたことを教えて頂いた。このことは、万波誠とウィスコンシン大学のボブ・ホフマンから、散発例についての成績がよいこと、病変が可逆性であることを聞いていたが、論文として実証されるのは初めてだろう。いわゆる「マージナル・ドナー」利用の道がまたひとつ拓かれたわけだ。
 
 一般に「間違い」は思い込みにより発生する。最近、S.アイエンガー『選択の科学』(文藝春秋)、C. チャブリス&D.シモンズ『錯覚の科学』(文藝春秋)がよく売れているが、いずれも「思い込みによる間違い」の発生の仕組みを解説したものだ。かつての「脳科学ブーム」は、心理学実験と結びついて、「実験的証拠なしの脳科学者の主張」(養老孟司や下條信輔や茂木健一郎など)が、いかに間違っていたかを指摘する方向に進みつつある。
 これだから、学問は日々に新たに、であり、面白いのである。

4.【公判傍聴】毎週末の首相官邸前への市民の集合がついに総理との会談をもたらし、9万通のパブリックコメントの実に90%が、2030年の「原発ゼロ」を支持するというものとなった。行動する市民の勝利です。

 デモ行動は相手に威圧感を与え、力で従わせようとします。相手は感情的に反発するが、恐怖感で従わざるをえない。解同の「糾弾」と同じで、本心から納得するわけでないから、増えない。

 松山地裁の患者裁判の傍聴も同じです。手間暇かけて、傍聴に行くのは一見、うろんなように見えても、長い眼で見れば効果があるのです。
 9月4日の松山地裁での裁判には、呉のNさんのお世話で、参加者予定者が4人に増えました。有給をとって参加する公務員もいます。
 広島県だけからでなく、岡山からも山口からもぜひ参観してほしい。
 物事は「うどん屋の釜」では前に進みません。行動することが必要です。官邸前の市民集会のように、

 詳細はNPO事務局の河野和博さん kazufc12@gmail.com
 に問い合わせて下さい。

捏造問題のその後(最近の難波語録から)

例によって、難波先生のメルマガから

1.【考古学・人類学】ダーウィンの『種の起源』、『人間の由来』は昔からの愛読書で、考古学・人類学には持続的な関心をもっている。
 この5月に若くして亡くなった角張淳一君への「追悼文」が、岡安光彦氏のブログ「考える野帖」に再掲されているのを、ネットサーフィンで見つけた。岡安氏の追悼の言葉も載せられている。
 http://www.fieldnote.info/?p=397
 3人で協力しておこなった「石器の脂肪酸分析のウソ」指摘については、岡安氏が以下にまとめている。
 http://www.fieldnote.info/archive/

 2001年5月、駒澤大学で開かれた「日本考古学協会総会」での演題発表の前日、渋谷道玄坂のビジネスホテルに角張さんと同宿し、批判派のオフミに出席し、岡安さんに初めてお会いした夜のことも鮮明に覚えている。

 学会場では「朝日総研」の河合信和氏にもお会いした。北大薬学部を出て「朝日」に入社し、科学部で考古学関係を専門にした「変わり種」である。
氏は『最古の日本人を求めて』(1987)で藤村新一の発掘を持ち上げた過去があるが、その記述はいかにも自然科学的で、読むだけで藤村の捏造トリックが私には理解でき、大いに役だった。
 事件発覚後、『旧石器遺跡捏造』(2003)を執筆し、無知による捏造への協力を自己批判している。

 『ネアンデルタールと現代人:ヒトの500万年史』(1999)は、ネアンデルタール人と現代人の間に、遺伝的つながりがないことを多くのデータを概説することで示したものだ。『大学新入生に薦める101冊の本』でも取り上げておいた。
 近著『ヒトの進化、700万年史』(ちくま新書)は、人類の起源がさらに200万年遡ることを強調している。

 フランスに留学し、本格的に旧石器を研究した竹岡俊樹氏は、初めから「藤村石器は縄文石器、中には線路のバラスもある」と岡村一派を批判していた。
角張=竹岡の批判に、「毎日」北海道支局の報道部長が耳を傾けなければ、「世紀のスクープ」はなかった。
 日本考古学の「大間違い」を正したのだから、学会から評価されるかと思いきや、角張君も竹岡氏もその後、徹底的に疎外された。昨日まで、藤村石器を持ち上げていた学者たちは、「藤村精神病説」を持ち出して、自らを免罪し、知らんぷりをした。誰一人責任をとって、職を辞したものはいない。

 これが日本的パターンで、敗戦の時しかり、福島原発事故しかりである。「修復腎移植」問題も、結末は同様になる蓋然性が高い。
 
 私が最初に竹岡氏に注目したのは、「日経サイエンス」に「石器作成の工程は、脳内にあらかじめ<石器のイメージ>が存在しており、そのイメージを実現するために石器の分割/剥離作業が行われる。従って石器の観察から、脳内活動を推定することが可能である。新石器と旧石器は、脳内イメージが根本的に異なる」と「言語と石器」を関連づける理論を提唱されていたからだ。
 だから「まだ見ぬ友」であった。実際にお会いしたのは、2002年頃、福島か仙台に学会出張した帰りに、東京駅のレストランで長野の角張さんに紹介されてである。

 その竹岡氏から、近刊の「季刊邪馬台国」(2012/7月号)掲載のインタビュー記事「旧石器研究者を語る」コピーが送られて来た。恨み辛みも書かれているが、全体として見ると、考古学会が根本的には変わっていないことがわかる。
 日本の考古学は、公共事業ブームの「行政大発掘時代」に年間1,000億円の研究費をもらったのだそうだ。20年間で2兆円!
 それが「捏造発覚」で、全部ムダだったとわかった。自責の念に駆られて、一人くらい自殺しそうなものだ…

 しかし、他方では岡山大の松木武彦、東海大の北條芳隆氏などのように、こつこつと新しい考古学を開拓している学者もいる。ミトコンドリアDNAの分析で、「縄文農耕」を証明したと喧伝していた静岡県立大学の佐藤洋一郎は、いつの間にか消えてしまった。帯広畜産大学の中野益男と同じである。

 竹岡氏の近著『旧石器時代人の歴史』(講談社選書メチエ)はAmazonの読者レビューを見ると、非常に評価が高い。今日明日にも、手許に届くはずなので、一読を楽しみにしている。

 マックス・ウェーバーに『職業としての政治』、『職業としての学問』(ともに岩波文庫)がある。政治家と学者のモラルを説いたものだ。収入や地位や名誉を目的とした職業では、無意識の「道徳的逸脱」は避けられない。
 やはり学問をするには、「知に対する愛」(語義の意味でのフィロソフィアPhilosophia)が必要である。
 換言すれば「道楽としての学問」が理想的なのである。シュリーマンのトロイ発掘もダーウィンの航海も食うためのものではなかった。
 考古学会も移植学会も、職業としての学者の集まりである以上、抱えている基本問題は同じであろう。

2.【読書】昼前に河合信和『ヒトの進化 700万年史』と竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史:アフリカら日本列島へ』が配達された。前者は形質人類学の、後者は文化人類学の本であり、ほぼ同時代を別の面から見ている。
 リンネの分類法だと、ヒトは「哺乳綱」−「霊長目」−「ヒト科」に属し、以下、現生人類は「ホモ属」ー「サピエンス種」に属する。1属1種である。
 「霊長目」ー「ショウジョウ科」には、「オランウータン属」、「チンパンジー属」、「ゴリラ属」の3属、4種がいる。

 進化人類学的な大きな疑問は、現生人類がいつ、霊長類のどの属ないし種から分岐したのかという点である。遺伝子解析の結果は、ヒトとピグミーチンパンジーの遺伝子は98%共通で、DNA突然変異率から計算すると約500万年前に共通の祖先から分岐した、というのが定説になっている。ところがひとつ大きな問題があって、「霊長目」のサルの染色体数は48XYで、ホモ属だけが46XYで一対少ない。もっとも現存種はサピエンスだけだ。他の種については不明だ。
 これは他の霊長類のNo.12とNo.13の染色体の短腕(p)同士が、q-p=p-qという形で逆位に癒合し、後にp=pの部分が部分欠失を起こして、ヒトの第2染色体になった(他の染色体番号が一つずつ繰り上がった)ためである。

 「サルは毛が3本少ない」というが、ヒトはサルより染色体が2本少ないのである。ヒトの祖先にこのような染色体粗大異常が生じて、どうして生殖可能な個体が生まれたのか?しかもNo.2染色体は常染色体だから、オスとメスの生殖細胞に同時にこの異常が起こらないと、核融合ができないはずである。このことをきちんと説明して、ヒトの起源を論じた本を知らない。

 常識的に考えれば、霊長目出現の際に起こった変化で、以後、後にヒト科に進化する動物は別個の経路をたどったと思われる。とても500万年では不足で、2,000万年以上はかかるだろうと思われる。河合氏の本は、直立二足歩行する最初の人類化石はチャドの砂漠で見つかった「サヘラントロプス・チャデンシス」化石であり、700万年前のものであること、260万年前に東アフリカの大地溝帯で石器製作が始まり、「オルドワン文化」が生まれたこと、最初の火の利用は100万年前で「ホモ属」に進化した後であること、それから人類のアフリカらの何度にもわたる拡散と絶滅を経て、「ホモ・サピエンス」の出現に至る歴史が、過去50年間の研究成果を踏まえて、総合的に語られる。非常に興味ふかい。

 ネアンデルタール人がホモ・サピエンスと同時代に生存していたということは、もうはっきりしているが、著者は両者の混血が生じたという、驚くべき報告を紹介している。10万年前の化石骨から核DNAの抽出・分析が可能となり、現存している住民のDNAと比較すると、ヨーロッパ人、アジア人ともに1~4%のネアンデルタール由来のDNAを含んでいる。しかし、アフリカ人からは検出されないという。だとするとおよそ7万年前の「第二次出アフリカ」の際に、中東で混血が生じたと考えるほかない。しかもヒトのミトコンドリアDNAにはネアンデルタール由来のものがないから、混血児の母親はヒトであったことになろう。

 ヒトとネアンデルタールが40万年前に分岐し、20万年間生殖隔離されていても、「種分化」はまだ生じないで、交雑できる可能性はある。しかし、ネアンデルタールのDNAが1~4%あるということは、ヒトのDNAは96~99%ヒト固有のものだということを意味している。これはヒトとチンパンジーのDNA差と変わらない。この程度なら測定誤差でも起こりえるように思える。
 ともかくいろいろ考えながら読むと面白い本である。

 竹岡氏の本は、人類の進化史を俯瞰した上で、考古学の対象である「石器出現以後」の文化を扱っている。ここでは「旧石器捏造」事件の裏話も語られており、「岩宿の発見」以後の日本考古学の歴史と問題点が解説されている。石器の話はよくわからないので、これ以上は述べられない。
 いま、病理学の分野では画像分析が急速に進んでいる。安物のデジカメさえ、人の顔を認識し、そこに自動で焦点を合わせるようになっている。どうしてこの技術を石器鑑定に応用できないのだろうか?「ナンデモ鑑定団」みたいに、経験と勘で石器を鑑定していたのでは、鑑定に科学としての再現性がないように思った。昔の病理診断がそうで、「偉い先生の診断だから正しい」とみんな思っていたものだ。

糖質制限食は危険か?(続き)

難波先生の記事を紹介したところ、FBでコメントをいただきました。
これまでに送られてきた先生の記事も紹介しておきます。
判断はご自身で。

6月7日【糖尿病】
 で、2ヶ月ぶりに病院を受診した。いつもは「空腹時血糖」か「食後2時間目の血糖値」を測定しているので、今日は「食後1時間値」を測ってもらった。(採血の1時間前に食事した。)
 測定日時が異なるので単純比較はできないが、自分の血糖値カーブは、これで大体、明らかになる。

 空腹時血糖値(4/11/2012)= 104mg/dl
   食後1時間値(6/6/2012) =  194mg/dl
 食後2時間値(2/15/2012)=  144mg/dl

 教科書どおり、食後1時間目に血糖値のピーク(落差+90=グルコース・サージ)があり、2時間目まで急下降(落差ー50)し、以後、空腹時血糖の値に近づく(落差ー40)、ことがわかった。

 肝腎のHbA1cは6.1(新基準で6.5)%で、前回(4/11)の5.8%より0.3上昇していた。これは4〜5月にパーティが重なり、飲み過ぎ、食べ過ぎがあったためと、普段の食事量が増えたためである。46Kgと下げ止まっていた体重が、2ヶ月間で500グラム増加した。これで肥満度(BMI=Body Mass Index):=体重(Kg)/身長(m)の2乗 を計算すると、16.9となり、20以下だから「やせすぎ」である。

 糖質制限食の実践者、京都高尾病院の江部先生は、「一般に「バランスの良い食事」は、糖質:脂質:たんぱく質=50-70:20-25:10とされています。糖質制限食では、この比を27:45:28とします。私が実践しているのは、12:56:32とさらに糖質を減らした「スーパー糖質制限食」です。」といっておられる。

 私の場合は、糖質:脂質:タンパク質=2:4:4くらいで、肉・魚の摂取量が多い。(但し「栄養分析表」により、厳密に計算はしていないし、カロリーのことはあまり考えていない。)「サブ・スーパー糖質制限食」だ。血中グルコースには吸収されたものと、体内で生合成されるものがあるから、糖質ゼロでも血糖値はゼロにならない。

 私の仮説では、「食後の血糖値ピークの時に、余分なグルコースが赤血球に取り込まれる。HbA1cはこれによって形成される」。
 赤血球にはミトコンドリアがないから、グルコースを分解して1分子のATPを作り、これでヘモグロビンの酸化還元反応に必要なエネルギーを得ている。
 グルコースの分解産物であるピルビン酸は、ミトコンドリアがないため、利用できないので血中に放出される。
 血糖値が下がっても、赤血球内のグルコースは外に出て行けないので、これがヘモグロビンα鎖と結合して、糖化ヘモグロビン(HbA1c)を形成する。

 従って、食後1時間の血糖ピーク時に、もっとも多量のグルコースが赤血球内に入り、これがHbA1c値を押し上げる最大の元凶である。

 高血糖それ自体は、感染症に罹りやすい、傷が治りにくい、などの障害を起こすが、血管や糸球体に対する傷害性はなく、老化した赤血球が脾臓で破壊される際に放出される、高分子の糖化ヘモグロビン:HbA1cが血管や基底膜に沈着することが、多くの糖尿病合併症の原因である。
 その証拠に、糖尿病性細動脈硬化症や腎糸球体硬化症の場合に、そこに<過ヨウ素酸=シッフ(PAS)反応>陽性の物質がびまん性に沈着しているのが、証明できる。これは沈着物が「CーC」結合を持ち、かつ水酸基(-OH)を持つということで、HbA1cはその必要条件を満たしている。

 <HbA1cの形成はもっぱら食後1時間目の血糖値ピークの際に形成される>という、以上の仮説が正しければ、このピークを下げれば「高血糖領域」の面積が減り、赤血球に取り込まれるグルコースの総量が減少するはずである。

 何しろ、血液中の赤血球は容積でその約50%を占めるから、仮に血液100ml中に200mgのグルコースが存在したとすれば、100mgは赤血球中にあるということになる。とんでもない話である。

 そうすると、「食後1時間目に起こるグルコース/サージのピークを下げる」ことで、HbA1c値を下げることができるはずである。その戦略として次の二つが考えられる。
 1)グルコース消費量をアップする=これは食事後すぐに散歩する。縄跳びのような少し激しい運動をする、などが考えられる。
 2)1回の食事量を減らし、回数を増やす=昔の農村では、三度の食事の際のご飯量は「一膳(いちぜん)」と決められていた。
 その代わり、午前10時頃と午後3時頃に「小昼(こびる)」とか「3時のおやつ」とかいって、他のあぜ道で食事をしていた。つまり日に5回食事していたわけである。
 1回の食事量が少なく、腹が減れば、間食にチーズとかウィンナー・ソーセージのようなものを食べればよいわけである。

 次回は2ヶ月後8月8日に受診なので、この二つの戦略を組み合わせて、HbA1cと食後1時間血糖値を下げるのに挑戦してみたい。これで糖尿病の薬をいっさい飲まない生活が、10ヶ月続くことになる。結果はまたご報告します。

  受診後、いつものファミレスに行き、「ハンバーグ、鶏のから揚げ、ソーセージ」の昼食をとった。ブロッコリーとポテトが添え物で、後者が「糖質」である。カロリーでは900Kalになる。パンもライスも食べない。つまり1日2,700Kcalくらいはとっていることになる。卵は、多い日には3個も食う。これで血中脂質は正常である。6月13日【カーボカウントて何よ?】
糖尿病の食事療法において、従来の「食品交換表」に基づく「何が何単位」というやり方は、面倒くさいばかりで、さっぱり血糖値のコントロールに役立たない。
 そんなことは無視して、タンパク質と脂肪主体にした「糖質制限食」を食べる方が、よほど確実に食後血糖値の上昇を抑え、HbA1c値を低下させる。

 この理論は1999年に宇和島市の釜池豊秋医師が考えついたもので、以後2000年頃、京都高雄病院の江部康二医師に広まり、さらに全国の開業医に伝わった。二人の著書は飛ぶように売れているそうだ。私もその恩恵を受けたひとりで、糖尿病のコントロールに成功し、服薬からの離脱に成功した。

 人類が誕生したのは15万年前、旧石器時代に入り本格的な狩猟採取生活が始まったのが5万年前。われわれの生物としてのからだはその頃に作られ、基本的に変わっていない。染色体の数も遺伝子ももう定まっていた。その時代には、肉と魚、それに少量の果物しか食うものがなかった。おのずと「糖質制限食」だったのである。

 農業が始まったのは1万年前。皆が腹一杯食べられるほどの穀類が取れるようになったのは、たった100年前のことだ。「しゅしょく」という音は、明治22年の大槻文彦「言海」には「酒色」、「殊色」の2語しか載っておらず、主食という概念は、これ以後に生まれた言葉である。

 「糖質制限食」というのは食を「旧石器時代に戻そう」、「主食を食べるのをやめよう」というものだ。
 15時に昼食をすると、22:00の夕食までに、19時頃お腹がすく。そこで牛乳1杯、チーズ2切れ、バター1グラムを食べる。どんどん牛乳を飲まないと、家内はあまり飲めない体質なので、農場から配達されるパックの牛乳がなくならない。製造農家から配達される豆腐も同様だ。

 そこでジンギスカンの兵隊みたいに、肉、卵、チーズ、ヨーグルト、バターをたっぷり食っている。もちろん魚も食う。豆腐も食う。腹持ちは概してよく、排便量も多い。バーキット腫瘍の発見者バーキット博士は、後に大腸癌の研究に転じ、大腸癌の原因として便秘と便量の少なさを強調していた。
 「ケニアのマサイ族は1日500グラム以上の大便を出す。その時にがん物質を出してしまうから、大腸癌がない。アメリカ人は少量の大便しかせず、しかも便秘が多い。これでは大腸癌が増えて当たり前だ」と講演するのを聴いたことがあある。

 話は変わるが、今年の糖尿病学会では、「従来のカロリー制限食」とならんで「近年欧米で開発された<カーボカウント>による食事療法」を採用することに決めた、という。(「医学会新聞」6/4/2012)。Carbocountというスペルかと思い探したら、「Carb count」「Carbohydrate counting」でやっと見つかった。
 http://www.diabetes.org/food-and-fitness/food/planning-meals/carb-counting/
 「アメリカ糖尿病学会:のHPによれば、「糖質計量(CC)」とは「CCは血中グルコースのレベルを管理するための食事計画である」としている。

 1)糖質を含む食事は血中グルコースを上げるので、食べた糖質を管理して、自分が食べてもよい糖質の最大量を決め、血糖値を目標の範囲内に保つようにすること、
 2-1)糖質を含む食べ物の代表は、デンプン質の食べ物(パン、シリアル、ライス、クラッカー)
   2-2)果物とジュース
 3-3)ミルクとヨーグルト
 などとなっている。

 要するに食品中の糖質量を計算して食事するものらしい。これも面倒である。

 釜池=江部の「糖質制限食」のように、主食を完全に止め、カロリー計算などしないで、肉、魚、ヨーグルト、チーズ、バター、豆腐の食事を腹いっぱい食べる方が簡単だ。1回、50g=200Kcal程度の糖質は果物、豆、牛乳などからひとりでに補給される。
 カーボンカウント法は、実効性において「糖質制限食」にはるかに劣る。

 こうして見ると、やたら「欧米では…」と外国のものをありがたがり、目の前にある優れた方法に目を向けようとしないどころか、異端視するのは、何も「修復腎移植」だけではなさそうだ。

7月21日【糖質制限の体験者】
 栃木のKさんから電話があった。糖尿病だったが、昨年6月に博多で、私の話を聞いて、ご飯を食べるのをやめ、日本酒を飲むのをやめて甲類の焼酎にしたら、1年で、HbA1c 7.9から5.4に、血糖値は190mg/dlから81に下がったそうだ。中性脂肪は1,300mg/dlあったのが、70mg/dlに減り、いずれも基準値内に収まったという。体重は79Kgから69Kgに10キロ減少したそうだ。

 理論や学説は本人が確かめるだけでなく、他の人が「追試」して、そのとおりであることを確認しないと実証されたことにならない。「糖質ゼロの酒なら飲んでいても糖尿病はなおる」というは、Kさんが追試・確認してくれた。

 ただ、γ-GTPが300と高値なので、「酒をやめ、1ヶ月間マイスリーのような即効性睡眠導入剤を使ってごらん」と勧告している。
酒を飲まないと眠れないというから、代替策は睡眠導入剤しかないだろう。酒による肝障害よりもこっちの方が軽いはずである。

7月23日【検査】
 1) Kさんの糖尿病の話は、その後メールが来て、以下のようだったそうだ。
<僕の血糖です。去年6月 192mg/dl  今年6月 81mg/dl
HBA1c 去年6月 7.9  今年6月 5.4
中性脂肪 去年6月  2359    今年6月74です.
島野先生(群馬県第一の血液内科医といわれます。)にご相談したら酒はやめなくて良いから日本酒をやめろといわれ焼酎とハイボールにしたらこうなりました。それと先生に炭水化物やめろといわれ、ご飯を減らしたの効いています。大学で仲のよい循環器のI教授に飲み屋でお会いしこの話をしたら島野先生は名医といってました。普通の医者は酒やめろというのに酒の種類をかえろといったからですって。>
中性脂肪は約2,500→70に急低下したわけだ。鹿鳴荘研究所にセカンドオピニオンを求めにきた、Mさんは高度の肥満があり、中性脂肪が3,000あったが、これもその後の報告がない。

血液内科医を主治医にするというのは正解である。血液内科医はすべての内科の中心にあり、すべての領域の病気を知っていなければいけない。なぜならどの病気も最後は血液とからんできて、各科は血液内科に治療を依頼するからだ。その血液内科医の病理側コンビが「血液病理医」である。ここも全科の病理学を知っていなければつとまらない。悪性リンパ腫が発生しない箇所は、軟骨と角膜だけで、あとは血液の流れているところならどこからでも発生する。

 2) 宇和島のK先生から
 食べても太らない! 「糖質ゼロ」の健康法 (新書y) 釜池 豊秋 (新書 – 2011/4/6)新品:¥ 924
 の紹介兼コメントを頂いた。
<大分、釜池理論も進歩の跡を見せています。彼一流の思い込みにもそれなりの理論がくっついていると言うことです。私はそもそもの初めから、彼のやっていることを眺めてきました。
 初著は原稿も読まされ、愚見を呈上したことでした。
 私自身の経験からも、二つの問題があることを指摘したいと思います。
 ①腎機能が著明に低下している患者には禁忌であること。
 これは、腎機能さえ良ければ、100%蛋白食でもケトアシドーシス にはなりませんが、腎機能が低下しているとケトアシドーシスの危険性があるためです。これは、著者も十分知っていることですが、何度も議論しましたから、そのことについて記載していないのは残念なことです。
 ②完全にインスリンの出ていない、一型糖尿病では効果が無いようです。
 著者は、永年の治療の結果としての肝臓の gluconeogenesis(糖新生) 亢進をその理由に挙げていますが、多分、speculation(推測) で evidence (証拠)はないと思います。以上のような理由から、私は、80歳以下で、理性的な人で、肥満型の患者には糖質ゼロ食を薦めています。たしかに、上手くいくようです。>

 私もK先生のご説明には基本的に賛成です。
 「ケトアシドーシス」というのは、血中にケトン体が増加して血液が異常に酸性に傾いた状態で、生命に危険があります。ケトン体というのは、炭素原子(4価)に酸素(2価)が1個付き(カルボニル基)、その残った2本の腕に別の炭化水素が結合したもので、アセトン、アセト酢酸、ヒドロキシ酪酸が主なものです。
 「糖質制限食」は「内的飢餓」を引き起こして、体内の脂肪を分解し、脂肪酸と中性脂肪に変え、これを原料として「クエン酸回路 」を回転して、酸化的リン酸回路によりATPを作りだすのですから、その中間過程でケトン体が産生されます。
 腎機能が十分なら、余分のケトン体は腎臓から排出されますが、そうでなくかつピルビン酸が不足するとATP産生にも利用できなくなります。

 ただ腎機能は、血清クレアチニンが1.3位までは大丈夫だと思います。Ⅰ型糖尿病は、インシュリンがまったく出ない若年性の糖尿病で「糖質制限食」療法の対象外だと思います。だいたい「糖尿病」は尿に糖がでる「状態」をいうので、病気というより「病態名」なのです。
 釜池先生は日本における「糖質制限食」の元祖ですから、一読の価値があるでしょう。
 
 
 3) 私のピロリ菌感染を見つけたのも、血液内科のH先生である。島根県の旧国立病院院長を勤めた後、いまは鳥取の旧国立病院の管理職をしている。この人は、人格、識見、技量ともに本当の名医である。
 
 ピロリ除菌はこの5月に呉のNさんの奥さんが受けたはずだが、その後の報告は受けていない。
 
 
  4) 6/1の難波塾に初出席したNさんからメールが来た。個別に返信していたら対応しきれないので、ここで取り上げます。
 
<昨日女房が人間ドック(中電病院でPET)の結果をいただいてきまして、がんは問題ないのですが次の2つの点を指摘されました。
 心臓肥大の為再検査(紹介状もついていました)
 慢性胃炎(自覚症状なし)
★心臓肥大についてはマツダ病院か広大病院にでも行くようにしようと思いますが
★慢性胃炎はピロリ菌の検査に行かせた方がいいんでしょうか?
★心臓肥大についてかかった病院でピロリ菌検査を受けることはできるもんでしょうか?>
 
 何度も書くように、日本の医療の基本的欠陥は医者も患者も、「もの(検査と薬)を出したりもらったりしたら有料で、情報(アドヴァイス)はただ」と思い込んでいるところにあります。保険でなく、自費でセカンドオピニオンを求めるのが、「医者を選ぶのも寿命のうち」を実現する最短距離です。
 
 
 「慢性胃炎」というのは、中年以後に、胃に炎症が持続し、胃本来の粘膜が萎縮・化生を起こし、腸と同じような上皮に変わるもので、原因はピロリ菌の感染です。 ピロリ菌については、一般向けに、
 1)緒方卓郎「ヘリコバクター・ピロリ菌:胃潰瘍、十二指腸潰瘍、慢性胃炎の元凶!」、講談社ブルーバックス, 1997
 2)伊藤慎芳「ピロリ菌:日本人6千万人の身体に棲む胃癌の元凶」、祥伝社新書、2006
 3)朝香正博「胃の病気とピロリ菌:胃がんを防ぐために」、中公新書、2010
 が出ています。全部買っても2,500円にもなりません。
まず三冊をまとめて買って、自分でピロリ菌について勉強してください。医者代に比べれば本代はタダみたいなもんです。
 「心臓肥大」を来す基礎疾患には山ほどあるので、これだけでは何ともいえません。紹介状、検査データをもってセカンドオピニオンを受けて下
 「ピロリ菌の検査」は、前にK先生が指摘されたよう、保険診療で受けようとするといろいろ制約があります。Nさんの奥さんの場合がどうだったのか知りたいところです。
 私なら、医者がグチグチいうようなら、自費で検査を受けるか、民間の検査会社に直接検査を依頼します。 
 医者や行政のいうとおりにしていたら、健康で長生きするかというとそれはウソです。
 マスコミを信用していたら騙されるのと同じことです。

難波先生の書評:マイケル・ポランニー「暗黙知の次元」

面白そうなので転載します。
オリヴァー・サックスの「火星の人類学者」も面白そうです。

【書評】「買いたい新書」でマイケル・ポランニー「暗黙知の次元」を取り上げました。
 http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/

 世の中には原本をよく読まないで、「暗黙知」という言葉だけを振りかざす人もいるようです。
 ポランニーは原子物理学から哲学に転じた人で、言葉では伝達不能な「暗黙知」が「共感」により理解可能となることを指摘しています。これは1980年代になされた「ミラーニューロン」の発見を予言したもので、偉大な先駆的業績です。

 暗黙知=共感=「心の理論」=ミラー・ニューロン=脳の発達障害としての「自閉症」の間には密接な関係があります。

 神経学者オリヴァー・サックスの「火星の人類学者」〔早川書房)には自らを「火星の人類学者」と呼ぶ自閉症の女性動物行動学者の話が出て来ます。彼女は相手の感情がわからず、火星から人間を観察するように、「調査して、その結果を総合して判断する」のだそうだ。
 「共感」という仕組みが欠けている(恐らくミラーニューロンに障害がある)から、相手の微細な表情変化から相手の心を推測する「心の理論」が働かず、「相手の立場」という暗黙知が伝達されないのであろう。